はなこの仏像大好きブログ

奈良、鎌倉、京都、古美術、そして、日常の生活などを取り上げて書いて行きたいと思っています。 よろしくお願いします。 主婦、母ですが、通信制大学院の学生でもある、アラフィフおばさんです。

奈良や古美術が好きな主婦のブログです。

アメブロ『奈良大好き主婦日記』
http://s.ameblo.jp/naranouchi/

と並行して書いています。

よろしくお願いします。

2016年01月



東寺講堂の四天王を書く予定なんですが、
それはちょっと置いてといて(得意技)

ダラっとしたお話を……(^◇^;)


いや、もうね

少し前に書いた、(私にとって)チョー難しい論文の読みに、またまた行き詰まり
これはまだ知識が足りないからだということで
「他の書物」にいろいろとあたってるのですが、
他の書物にあたると、またまた曖昧だったり、わからないことが出てきて、

「他の他の書物」にあたり……と、

理解不能のバケツリレー状態


が加速する今日この頃、皆さんお元気ですか??v( ̄∇ ̄)v




もっともっとちゃんと基本をビシッと押さえよう!
ということで、引っ張り出したのがこの本↓

浄土三部経(下)
私のブログでは、以前に何度も扱っているのですが
(そしてひとつとして、真面目に書いているものはないのですが ←ばかもーん!)


これ、浄土教を研究する時に必須の本です


浄土教には、基本の3つの経典があります

これを、浄土三部経と呼びます
1  無量寿経(大経)
2  観無量寿経(観経)
3  阿弥陀経(小経)



この中で、
一番ビジュアル化しやすいのが、2の観無量寿経(観経=かんぎょう)で、
浄土教美術のもとになっているだけでなく
話としても面白いのです

当麻曼荼羅は基本的に観経の内容を絵画にしたものです


以前のブログにも時々取り上げました
例えば、当麻曼荼羅の九品往生については
↓ ここ(前半はぶっ飛んでますが、後半やや真面目に書いてます)
http://s.ameblo.jp/naranouchi/entry-12001303469.html



『今回の「チョー難しい論文」を読むために読んだ論文』に引用されていたのが、
この観経の中の九品往生段でした

この『論文』の主題は「阿弥陀の印相について」だったのですが、それを理解するため、観経の中の、九品往生の部分を読み直しました 
(その『論文』には、「観経には阿弥陀の印相が書かれていない」ということが書かれています…たしかに、観経では印相については一切記述なしなんですよ(これについては、密教の図像集の方で書かれてたりするのですが、難しいので割愛!)……広く世に知られている「九品の印相」は誤りだということは、広く知られてなくて……ん?←これについては後日書きたいなと思っています 


……で、
九品往生段
生前の行いを、すごくえら〜い人から極悪人まで、9段階に分けて
えらい順に往生の仕方を分けて書いたもの です

9段階の内訳は、
まず3段階
すなわち上品(じょうぼん)、中品(ちゅうぼん)、下品(げぼん)に分け


それぞれの段階の中でさらに3段階に分けるもので

上品上生、上品中生、上品下生
中品上生、中品中生、中品下生
下品上生、下品中生、下品下生

の9段階となるわけです
(浄土三部経の中で、1の『無量寿経』では、3段階にざっくり分けただけなんだけどね=三輩段)



観無量寿経の本をめくってみるよ

↓ たとえば、この部分は、上品上生 (チョー偉い人の往生について)
 
写真右下の丸で囲ったところに、上品上生とは……って、書いてあるよね
チョー偉い人はどんな人かいろいろ書いてあります
そして、亡くなったとき、「阿弥陀如来、観世音・大勢至、無数の化仏、百千の比丘・声聞の大衆、無数の諸天、七宝の宮殿」が、現前し、うんたらかんたら……と書いてある!




↓こちらは、下品下生 (極悪人の往生について)
 
↑ やっぱり丸で囲んだところに、下品下生とは・・と書いてある
どんな人かというと「五逆・十悪」をした人で、亡くなった時、南無阿弥陀と称えれば、(誰も来ないけど)金蓮華だけゴロゴロ来る、と書いてあります(寂しい往生だけど、金蓮華が来ただけでもよかったわけだ……)




こういうのが、9段階それぞれに書いてあって

・どういう人が、上品上生、上品中生……か?という定義からはじまり、

・亡くなるとき、極楽からどんなメンバーがお迎えに来るのか? (偉い人ほど、大勢でにぎやかに迎えにくる……最後は、蓮台だけ )

・極楽には、何に乗って行くのか? (極楽行きの乗り物=蓮台にも格があるのだよ)

・極楽にはすぐにつくのか?時間がかかるのか? (極悪人はさっさと極楽で蓮台から「下車」できないんだよね…)

……なあんてことが、段階別に書いてあるのです



これが真実なら、生きてるうちは、なるべく「いい人」で過ごした方がいいよ!ということになりそう

(でも逆に、下品のほうに書いてある、「結局は極楽に行ける!」ってところが、中世の庶民の強い心の支えになっていくのだよね〜〜)



この観無量寿経の九品往生段、
それぞれの段で、内容が違うのはもちろん、 
記述の長さも結構違うんです

そこで、この際、
・それぞれの長さの違いや、
・書いてある内容
をビジュアル化して簡単に比較できるようにしようと思い
パソコンに該当箇所をガシガシ打ち込み、印刷し、ハサミで切り、横に並べてノリで貼りました(絵に描いたような、アナログ手法だな )



それが、これ↓

大きいので、分けて撮ってみました
先ずTOP3(「上上」生の略・・・以下同じ)

↑ (ノリの跡がふにゃふにゃですがっ)         
上品上生が、この中では一番長いです



次、
4位(中品中生)から9位(下品下生)!
中品下生の短さよ!(どうした!)




そして、見にくいけど、1位から9位まで、横に全部並べた画像はこうなる↓

(画面、左より、上品上生、上品中生、・・・・と続き、一番右が下品下生です
それぞれの長さが分かるように、最後に赤い線を入れてみました)

こうやって見ると、上品上生から始まり、上品3つが長い ですが、
下品も負けちゃいない長さ


両側に比べて、中品は、短いね
生前の行いがほどほどで、平均点だから、短いんでしょうかね?

→学校でも、できる子は先生の受けがよく、逆に、授業聞かない子にも手がかかる……成績真ん中の子は目立たない
→3人きょうだいも、上の子は赤ん坊時代の写真どっさり、新しい服どっさり、逆に、末っ子はいつまでも可愛がられる……真ん中の子は、写真ないし、お古ばかり着せられるし、存在感がうすい

・・・・・というような感じで、中品の影が薄いってことかしら?

がんばれ、中品!


「切り貼り」したことで、分かりやすく視覚化されて、面白いことになりました  





………で、私の打ち込みにミスタッチがないかどうか、
私が原文を読んで、旦那にプリントアウトをチェックしてもらったのね

『観経』の文を初めて目にした旦那(普通は観経なんて読まないわよね )にとっては
内容が面白かったらしい


旦那は、

「まず自分は、九品のどのあたりにいるのか?」
と考えて

「どうせ、下品(げぼん)だろうから(←え、「げひん」と間違えてないかい?)
下品の記述が長いのは、一般人として、ホッとするものだ
という感想を持ったそうです


これは、つまり、旦那が一時的にでも信仰者の立場から、九品往生について考えたということで、

私にはびっくりぽん!でした

なぜなら、私は初めから、(観経に限らず)こういうものは、資料と見ているからです

だから、
記述の長さや内容を比較しようとか、
場合分けして整理しようとか、
早く最初の文章読みに戻ろう とか、 
そんなことばかり考えてるの

信仰者としてホッとする、なんてことはないのよね(信仰者じゃないもん )


旦那と私の、感じ方の違い、
これは、けっこう面白い違いだと思ったけど、

もし私に一時的にでも信仰心が湧くと、
客観的な判断ができなくなるんじゃないか?とも思ったりします (元々判断力なんてあーりませんけどね)

親しみの感情はあるけど、それは信仰心ではない……とでもいうのかしら?


こう考えると、宗教って難しいね

本来は、仏像だって信仰の対象なんだから、時代がどうの、材料がどうの、様式がどうの・・
って、そんなの関係ないはずだものね・・

逆にそんなことばかり気にするって、ある意味失礼かもしれないものね

だけど、仏像や仏教美術は、信仰心はなくても、私にとってとても身近な存在であることも確かだと思うのです


……な〜んて言っておきながら、

わが家の子ども達のこと考えると、

息子はカトリックの中高一貫校
娘はプロテスタントの中高一貫校

に、通わせたのでした・・・はははは(*´∇`*)


……わが家、やっぱり宗教的に節操ないな

という結論に私、今、改めて到達しました

これでは、下品の往生だわ〜〜 きゃーー
(お迎えの菩薩が一切来なくて、蓮台だけがゴロゴロ来るやつだわ~






↓ 押してくださいにゃ〜〜





ブログ更新に、ちょっと間が空きました(*´∇`*)



東寺 の続きです


今回は、東寺講堂の個々の仏像について、私なりに取り上げたいと思います




「さあ、ようやく、あたくしの番ざますわねっ!」
この煌びやかなお方は、東寺で売っていたメモ帳の「梵天」キャラです…が、手に持つ独鈷戟(どっこげき)がパイプに見えて、

『不思議の国のアリス』の 、↓この青い芋虫を思い出す (そんな発想は私だけだろうけど)

http://www.f4.dion.ne.jp/~hiromima/shop_t046.htm
『不思議の国のアリス」では、この芋虫が、マッシュルームのこっち側を食べると大きくなって、あっち側を食べると小さくなる・・とか教えてくれるんだったよね・・




・・なあんて話はどうでもよくて



本題に入ります(*´∇`*)





現在の講堂の伽藍配置をもう一回のせます

image 







1 金剛界五菩薩

伽藍の一番東側のグループです

image 


上の図↑ ののところが、創建当初の像  (ここから、創建当初の像だけを取り上げますね・・悪しからず!)




①金剛薩埵
金剛薩埵像は、修理の多い像です

髻、左の腕先、頭部体部の右半身、両腕が後補です(傷だらけで生き返ったんだね)



腰布をつけています
 




横から見た金剛薩埵像
腰布をつけているのがよくわかります
(五菩薩はみんな腰布をつけています)

この腰布は、平安から流行るそうです
同じ堂内の不動明王もつけています




一方、頭部に注目すると、金剛薩埵は
髻の部分は後補で彫りがシャープ、
これに対し、生え際の部分は当初

image


↓ 実際の写真を見ると、彫りの調子の違いがよくわかります
 
髻の部分の毛彫りなんて、指を切りそうだものね (ていうか、触らないでね)




 次に、
②金剛宝



こちらも、横顔を見てみると
今度は、髻と生え際や頭部の彫りの調子が同じです
つまり、同時期に作られたものが残っているということです





はい、次は、
③金剛法
④金剛業
 

それぞれみんな、とても良いお顔をしていますね~




五菩薩の本体と台座は共木で彫られていて、台座からはみ出した膝の先まで全部一材から彫っているそうです (元の木がどれだけ大きかったか、想像するのも難しい気がしますね)


五菩薩像は、全体的に木屎漆(こくそうるし)で覆い、木芯乾漆に近い仕上げ

   ・五大明王は、髪の毛・腕輪・着物の一部など、部分的に木屎漆を使い、
   ・四天王は木屎漆を少ししか使わず純粋な木彫に近い仕上げ
・・・というように、各グループにより、乾漆併用の態度には違いがあるようです)





金剛界五仏

全部後補像
なので飛ばします



3 五大明王

 


五大明王は、全員当初像!




真ん中の 
①不動明王
 

人気のある像ですよね (んーでも、私は面食いだからね~) 

 こちらも五菩薩同様に腰布を巻いてますね



不動明王の像底部(下から見た図) を見てみます



図の上側が脚部です


・・・すると、ちょうどお尻のところに穴が!(((( ;゚д゚)))


安心してください


これは、小さい穴が沢山あいた銅板です!

(銅版の話は、また後で出てきます)





②降三世明王

 

顔3つ、腕8本 ( タコか!?)、
足を開き片足を踏みあげています


この像には、典拠となる図があります


東寺 仁王経五方諸尊図 
(不空訳『仁王般若念誦儀軌』に説かれる五菩薩・五大明王・四天王・帝釈天などを五方(東西南北中)に分けて描いたものです

(東方)
 
図の上方に「東方」
左下には降三世(どちらも青線で囲んでみました)


降三世だけ取り出して、拡大すると

面白いので、踏んずけられている2体の部分の写真と並べてみるね


 
「ふんぎゃ~~~!」

踏みつけられているのは、大自在天と烏魔妃(うまひ)
絵と像が、そっくり!(´∀`*)




③軍荼利明王

顔は一つ、手は八本(またしても、タコ!)、手足にを巻き付けてます(やだわ)

足は踏み割り蓮華に乗ってます


こちらも、同じように
仁王経五方諸尊図南方にいます
 
図の情報に「南方」
下の右に、軍荼利(赤い線で囲ってみました)



↓ 軍荼利を拡大します
 

絵のほうが威勢がよいですね ( ´∀`)




銅板について

軍荼利明王のお顔は、↓ こんな感じです(怖いけど、ちょっとかわいい)
おでこ上部の丸い飾りがありますね




頭部をエックス線撮影すると ・・ おでこの場所の、小さい穴のあいた丸が銅版
顔の部分には、古い釘3本と、四角い切り込み線のようなものがあります

これ、後頭部を開けて、おでこに銅板を嵌めて、釘でとめた跡です

銅板の位置は、木心をぬいたところにあたるそうです




さきほどの、不動明王のお尻の銅板や、この頭にある銅板などのように
穴の開いた銅版にはいくつかの例があるそうです

・・・例えば、
奈良時代後半の例では(画像つけるけど、銅板は写ってないよ)
・奈良興福院の阿弥陀三尊像



平安初期の例では、
・京都広隆寺講堂の丈六の阿弥陀如来の頭頂 



・新薬師寺の薬師如来の頭頂


キミもか……!

もともと螺髪があったはずで、それが取れて銅版が露出したのか?ということは、もしかしたら〜〜10円ハゲ?(゚∇゚ ;)!?)


これらの、穴のあいた銅版が嵌められた理由は(10円ハゲは置いておくとして)
・信仰上の理由(蓮華蔵世界では釈迦の頭のてっぺんから気が出る)、
・構造上の理由、
・納入品との関係の理由、
・木芯除去のため、
などなど、いろいろ考えられるそうなのですが、ほんとのところはまだよくわからないようです
~もしかして、本当に10円ハゲだったとか、それともネズミのための空気穴とか? (それはない)





はい、次に行きます

④大威徳明王
 

昭和の昔、デパートの屋上で、10円玉入れると動く牛のおもちゃに乗って、「はいしどうどう」と手を振り回す子供に見えなくもない・・ (今日は10円玉が大活躍)




⑤金剛夜叉明王

こちらは、腰をいれて、 ジャグリングしているように見えなくもない(*゚∀゚)っ


イメージ図


http://daitougei.web.fc2.com





お股の比較

軍荼利と降三世のお股(足)の比較です

左が降三世、右が軍荼利・・どちらが作品として上手でしょうか?
 

衣の裾が、お股に抜ける表現は、明らかに左の降三世のほうが上手な表現ですよね? 


降三世=東方、軍荼利=南方 
の図の中にいましたよね?

東西南北の方角えらい順に並べると

東→南→西→北

となります


仏師さんも、えらい順に担当する わけで
東の降三世を作った仏師のほうが、南の軍荼利を作った仏師より上手な人だったので、出来栄えに差がついたということになるわけです

この二体は、似たようなポーズをとったために、その差がよくわかってしまったということね
(厳しい世界だね )






梵天・帝釈天

さてさて、さてさて、東寺講堂には仏像は沢山あれど、とりよろふ梵天帝釈天

・・というわけでいよいよ イケ仏(イケメン仏)の誉高い、梵天帝釈天
の出番です


まずは梵天
 


「あたくし、ざます」
image 

似てるんでしょうかね?どうなの?





梵天様は、東寺のパンフレットの表紙も飾られるほど、このお寺の「顔」とでもいうべき存在

「みなさん、東寺へようこそ!」
 



ガチョウも、誇り高く「ガーガーガー」
 

こっちのガチョウは、「あ、虫みっけ!」
 


先ほど、パイプに見えた戟
 


そして、肝心のお顔は、このように高貴なお顔立ちです
 

ふっくらとしたお顔ですが、香取君あたりに似てるかな?


・・・ところが、奥さん!



この高貴なお顔、真ん中の面だけが古くて、後は後補らしいのですよ

 

髻と前髪の毛彫りの様子を、写真で確認してみてくださいね
様子が違うでしょ?

真ん中の面は前髪も含めて当初のもので
首の部分で割り剥いでいるらしいのです
(でも、体部と腕のほとんども、当初のものだそうです・・)


お顔正面の面の皮は
頭部と別のものだったわけですね

 






そこの奥さん!

おまたせしました!

次は、
仏像界のイケメン中のイケメン

帝釈天さま~
の登場です!



背筋もピンと伸びて、腰に当てる左手も美しく
なんといってもお顔がイケメン
 




奥さん、それではこのイケメンさまのお顔を少し拡大させていただきます




なんと美しいお顔立ちでいらっしゃいますいこと!
 

「私が、帝釈天だ。そなたの名前ななんと申す?」
「 た、帝釈天さま 、ワタクシの名前をお尋ねになるなんて、・・それは、求愛でございますか?
わたくし人間界に生きるもの、仏像界のあなた様との「道ならぬ恋」に落ちるわけにはいきません・・・よよよ(泣)」

・・・などと、妄想列車を走らせている仏像好きのあなた!


少し、ショッキングなニュース(新しくないけど)をお伝えしなければっ!


じつは、
帝釈天の頭部は鎌倉時代の後補なんです

平安時代、このお像が作られた当初についていたお顔は、全然別のお顔だったかもしれませんね・・
残念ですね・・・え?

「なーんだ、そんなこと?愛は時代を超えるのよ」・・・・はあそうですか?ではご自由に(⌒-⌒)




イケ仏様の、お腹もみてみましょうかね?


・・・・お腹は微妙に、出ていらっしゃいますね・・・・
 

ま、これはライザップに行っていただければ、短期でなんとかなりますかしらね?



☆;+;。・゚・。;+;☆;+;。・゚・。;+;


あ~~またまた、面白くなってしまって、ふざけ始めてしまいましたが



まだ、四天王が残っていた




少し息切れしてしまいましたので、
四天王の記事はまた後日にいたしたいと思います(ぜーぜー)







アリスの芋虫って、「アエイオウ〜〜♪」って歌ってるんですよ
歌を紹介したかったのに、YouTubeで見つけられなくて残念だったわ
↓ どうぞ、押してくださいませね・・次回への活力となります


東寺の記事の途中なんですが、

SMAPの歌の中で一番歌詞が好きな歌
「夜空ノムコウ」
の歌詞と画像をお届けします


 




2番の途中

♪あのころの未来に ぼくらは立っているのかなぁ♪

ここがとても好きです



↓ これは画像(動画は後に貼り付けます)


daily motion




はい、こちらが↓
いつの年だったか わからないけど、
記憶に残る紅白歌合戦 の動画です
(もしかすると、初めにCMがはいるかもしれませんが、我慢してね )




彼らがデビューしたころ、私は結婚して子どもが生まれて…
思えば随分長い時間が経ちました

私より若い彼らにとっても、それは長い時間だったね…

まだまだ彼らを見ていたいなぁ……と思う市井の人でした







解散という言葉は何だかさみしいね…

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東寺というと、立体曼荼羅という言葉を思い出します




東寺のパンフレットにも↓
 
(表紙)


堂のページには

 
(右ページ)

↓ほら立体曼荼羅と実際に書いてある

 
(左ページ)

で、なんとなく、「あ、そうか、曼荼羅を立体にしたのね 」と思っている方は多いと思いますが
もう少し掘り下げて仏像の配置や、それが何に基づいているのかについて書いてみたいと思います


1 東寺の背景について

空海作といわれる仏像は全国に沢山あると思いますが、確証作は東寺講堂だけです

そもそも平安遷都(794年、←鳴くよウグイスですよ)の時、東寺と西寺(今はありませんが)は一対の寺として建てられました
(10世紀頃まで、平安京の中に私寺を建てることは制限されていました)

弘仁14年(823)   嵯峨天皇は空海に東寺を賜りました……ここから、それまでの奈良の諸宗兼学から、一寺一宗となります

天長元年(824)  空海は造東寺別当となりました ……つまり、空海は、寺院と造東寺司両方の長となったということです(これより前の、造東大寺司は俗人でしたよね?)

天長2年(825) 講堂創建  ~ここで仏像の図様が新しく決まり、東寺は密教の寺となりました  (これより前にすでにできていた金堂は顕教の薬師三尊を祀ってます)
承和6年(839) 講堂開眼供養 (さあ、デビューです!)



2 現在の配置について


ところが……!東寺講堂は、室町時代の土一揆の時に戦場となり、沢山の仏を失いました
近世になり、それらは再興され、現在の配置になっています


では、まず、現在の講堂の仏像の配置図を書いてみます ↓

配置は、大きく3つの場所に分かれており、それぞれ5体が同じように配置されていますが、この5×3=15体が本尊です


う! 見えないかしら⁉︎
 
四角の中全員が本尊↑

図が見にくいと思うので、3つの場所(四角いところ)を、とりあえず拡大しますね
(字の下手さは変わらないから、許してちょんまげ)


真ん中は、
如来部(金剛界五仏)
 
↑ 四角の中に
と書いたところは後補像です(つまり後の世の再興)
この如来部は、お堂の中心部だったせいか、当初像は全滅して、全部後補像 (知らないで見たらわからないかもしれないけど、知ってから見るといかにもの金ぴか なので、よくわかると思います・・知らない方が幸せなのかもしれません) 




お堂の向かって右側は
菩薩部(金剛界五菩薩)

通常の拝観では、こちら側の入り口から入るので、まず梵天が見えてそのあと、持国天の角を曲がると正面に五菩薩が見えてきます
ここは、真ん中の金剛波羅蜜多菩薩だけが後補で回りの4体は当初像(*・ω・)ノえらいぞ!





そして、一番奥、向かって左側には

明王部(五大明王)
ここは、全部当初像! スバラシイ!



そしてこれらの左右に梵天帝釈天、四隅に四天王が配置されているわけです



3 問題点

それぞれの場所にある仏像には、東西南北に担当する方角があります

それを、現在の東寺講堂の仏像の配置で見ると、方向がおかしい のです
(これは、戦乱や火災に巻き込まれているうちに起こったことと思われます)


何がおかしいかというと、↓こんな感じ・・代表して東方尊でみると(黒い四角が東方尊ね)、こんな風にずれている(如来部と、菩薩部が90度左周りにずれている)
↑ そこで、このようにクルリと回転させて、それぞれを本来の向きに直してみると・



↓ こうなるわけです(見えないでしょ?( ̄▽ ̄;)!!ガーン)

 
真ん中と右だけ回転させたので、そこだけ拡大してみます


①まず、真ん中の、金剛界五仏の拡大
 

大日を真ん中に、東から、阿閦、宝生、無量寿、不空成就

という配置になりました



では、今度は、金剛界曼荼羅を見てみます

何度か書いたのですが、これが↓ 現図曼荼羅の金剛界
image



これを、
名前で表示するとこうなります
image
金剛界の真ん中の四角い部分が成身会(じょうしんね)ですが、それだけ取り出して拡大します




成身会
image 


↓ こちらカラーのサービス版 (ちょっとどうしてもピントが合わなくてスミマセン) 
 


成身会の大きな円の中の十字の真ん中の円の、そのまた真ん中に、大日があり
その周囲の円の真ん中に、東から(金剛界は下が東)、阿閦、宝生、弥陀(無量寿)、不空成就
(=成身会五仏)
が配置されています


・・・東寺講堂の如来部と金剛界曼荼羅成身会の五仏の配列がぴったり合います



②五菩薩

同様に、↓ 菩薩部をクルリと回転すると、
真ん中に金剛波羅蜜
取り囲むのが東から、金剛薩埵、金剛宝、金剛法、金剛業

 





↓ 金剛界成身会を見ると
大日を取り囲む四波羅蜜(黄色い ところ)
それから、 周囲の円のそれぞれ内側に、
東から金剛薩埵、金剛宝、金剛法、金剛業



ここでも、東寺講堂菩薩部と、金剛界成身会の真ん中のところ  がぴったりと合います


如来部、菩薩部は、金剛界曼荼羅を立体化するデザインだったんですね!


③明王部
では、明王部は何をもとにしているか?

両界曼荼羅には忿怒尊はいるものの、五大明王という形ではいないのです

つまり、五大明王は、両界曼荼羅を典拠としているわけではないのです(如来部、菩薩部では金剛界で話が済んだのに、明王部にきてややこしくなってきた・・)



五大明王の典拠は、任王経であると考えられます


これは、ニューヨーク公立図書館にある仁王経法図を私がキレイに(ウソ)、書いたもので(またもや読めない )
ここには、金剛界の五仏、四天王、帝釈天、五大菩薩がいます


そして、ここの五大菩薩の名称を見ていると、金剛界五大菩薩と重なるところと、重ならないところがあります


・重なるところ……
金剛界五菩薩       中心=:波羅蜜    東=金剛薩埵   南=金剛宝
仁王経五方諸尊   中心=波羅蜜    東=金剛手(薩埵)   南=金剛宝


・重ならないところ
金剛界五大菩薩   西=金剛  北=金剛
仁王経五法諸尊 西=金剛  北=金剛


じゃあ、この重ならないところをjointするものがあるか?

というと、

安心してください!
あるんですよ (^ー^)ノ



真寂撰『不灌鈴等記』東寺講堂五仏等図

これは、東寺講堂の仏像の配置を記した図ですが 、現物の写真は読めないので、私がキレイに(またもやウソ)書きおこしてみました(やめて)

あ、また見えないね(/TДT)/
 
東寺講堂の仏像配列図です



例えば真ん中の如来部のところを拡大してみます
 

大日の周りに阿閦、宝生、弥陀、不空
・・・・さっきと、おんなじですね!



では、次
菩薩部

金剛波羅蜜の周りに、薩(薩埵)、宝……

と、ここまでは同じ


その次、法、業、と続くところを

利法、牙業


となっています



先ほど仁王経のところで出てきた、金剛界と仁王経で相違点が、両方書いてあるということなんです

つまり、ここが、jointです*(^o^)/*
joint部に両方の名前が使われているというように解釈できます



このことから、
「東寺講堂の諸尊は 金剛界曼荼羅(如来部、菩薩部)と、仁王経(明王部)の2つの密教修法系を折衷して、配置された」と考えられるのです


わかったかな?明智君(′∀`)



なお、通説的理解では「三輪身説」が一般的で
如来部が自性輪身(法の知恵そのもの)、
菩薩部が正法輪身(法の智恵が人の形をとって優しく人に法を説く姿=菩薩)、
明王部が教令輪身(難化の衆生を救済する姿)ととらえます

しかしこれでは、明王部の表現の根拠が十分に説明できないため、上のような説も大変に面白いと思います(そして難しいのだよね……


次の記事では、仏像について、書きますね・・・ 

image

「あたくしの運命はどうなるざますの?」

ついに、梵天の面の皮がはがれるか?? 乞うご期待






面の皮の運命は⁉︎
↓ここを押して、次回をお待ちくださいませ……

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やっぱり、お正月の主婦はバタバタしていましたが、

鎌倉彫の新年第1回目の教室の後
ようやく鶴岡八幡宮にお詣りに行きました



小町通りはまだ新春の飾り付け


鳩サブレーの本店の手前の店に
焼きいもの提灯があり、ついつい引き寄せられる

いかん、いかん
お正月にいもまで食べたら、食べ過ぎの上塗りだ!



鳩サブレーの豊島屋本店



綺麗に飾り付けられてるけど、
鳩サブレーの「ブレ」字がかくれちゃって、鳩サーになってますけど?
「鳩サー」って、鳩のサークル?それとも鳩のサーカス?あ、鳩のサービス?(もういいよ)




一方こちらは、鰻屋さん〜うなぎのタレの甘辛い香りが漂って、ヨダレだらだら〜
ハッ
いかんいかん!
お正月は、忍び寄る誘惑がいっぱい (食べ物限定…… )





誘惑に打ち勝って

鶴岡八幡宮 に到着 しました



太鼓橋の前で
超カッコイイ服を着たおまわりさん 発見  わん、わん、わわん♪
ここはもしかしてロンドン?かと思っちゃうよね〜(そんな馬鹿な)




若い娘さんたちに、写真をお願いされていました

私も、羨ましそうに、ヨダレを垂らして見ていましたが
私とツーショットする気はなかったらしい( おまわりさんを困らせてはいけないわんわんわわん)




やっぱりお詣りは、しておかないとね……



本殿まで階段を上り
八の字が、向かい合う鳩 なのを確認して

おみくじを引いたら大吉!
八幡宮のおみくじは
凶が出るので有名なんです

そんな「逆境」の中、大吉を引いたので
喜びもひとしおでした



昨年にも行きましたが、また展示替えしていたので、
八幡宮内にある神奈川県立近代美術館鎌倉館  最後の展示を観ました

もう、この美術館は閉館間近です

館長さんからのメッセージ


建物の一部は保存されることになってるようです


今後について


この建物は、板倉準三設計で、「壊されるのは忍びない」というのが、市民の感情でしょう


(写真とも、wiki)



私は、ここが通学路で(シブいよ)、あの頃、パウルクレー展をやっていたのをよーく覚えています
(パウルクレーってなに?というレベルでしたけどね)




これまでの展覧会の歴史をしるしたパネルに、パウルクレー展が書いてありました
↓記憶違いではなかったね……




そして、今回は
松本竣介の「立てる像」 (←好き) 
古賀春江の「窓外の化粧」
の両展示がありました!(この前はなかったのよ)


松本竣介「立てる像」
 


古賀春江「窓外の化粧」
 

そのほか、ロダン、高村光太郎などの彫刻の展示もありました





そして、新たに(今さら)ひとつわかったことがあります


ぽわ〜ん

にか〜っ


というこのお二人
中庭にあって、大好きなんですが
作者がようやくわかりました(…というより、私が今まで気にしてなかった)



イサムノグチ作「コケシ」

へー、へー、へー、へー(「へーへーボタン」を押す音)





この像の脇を、ルコルビジュと板倉準三が歩いている写真がありました
🔴の所に行けば同じ構図になる⁉︎



🔴をさがせ!👀



キョロキョロ


あったよ〜!



ほら、↓  ここ




んで、私が🔴に立ち、旦那にルコルビジュと板倉準三の2役をやってもらいましょう




(^◇^;)


なんかよくわかんないわね……



近寄ってみると、足跡が描いてあったので、同じことやりたい人は、ここに立ってね(今月中よ)


鎌倉館との別れを惜しむメッセージもたくさん貼ってありました



この風景も見納めか……

この美術館のある側の池は、平家池なんですよね
(つまり、ジモティ源氏から見たら敵! )


上から見るとこうなる↓


↓西側の平家池に島は4こ(偶数だし、不吉…… )

↓一方、東側のこの池は源氏池〜島は3つの奇数でめでたい






神奈川県立近代美術館は、鎌倉館が閉館しても

別館




そして、葉山館もありますので

決してさみしいことはないのです……







そう言うなって……!










別の場所ですが
蝋梅を見つけました


周りに蝋梅の甘い香りが漂っていました




今年は春が早いかもね……








一富士二鷹三茄子↓ 
私はイノッチの初夢見ちゃったんだけど、どーゆー意味?

わかったら、ここを早押ししてね(^ー^)ノ

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