はなこの仏像大好きブログ

奈良、鎌倉、京都、古美術、そして、日常の生活などを取り上げて書いて行きたいと思っています。 よろしくお願いします。 主婦、母ですが、通信制大学院の学生でもある、アラフィフおばさんです。

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アメブロ『奈良大好き主婦日記』
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2016年10月




以前にも図を取り上げたような気がしますが



『覚禅鈔』阿弥陀下という、中世の密教の本の中に、

唐の伝記にある「阿弥陀曼荼羅の話」

というのが取り上げられています

こんなお話です        
   
「天竺鶏頭摩寺に五通菩薩がいました
現身のまま(生きたまま)、極楽に行きました
仏に尋ねました
娑婆世界の衆生が阿弥陀を念ずる時、よりどころとなるものがありません
仏はこう言いました
汝は娑婆に還って示現しなさい
五通菩薩はすぐさま鶏頭摩寺にもどり、その寺の樹の葉の上に仏菩薩の像を描きました
この木の葉を採集して数えると、五十二体の仏菩薩像がありました
これを以て、唐朝の図絵を人は本尊としました(はなこ訳)




そしてこのような図が描いてあるのです


↓ 樹上にいる52体の菩薩たち  ピヨピヨ




で、 この図をスキャンして娘のパソコンから私のパソコンに送ってもらったのですが

   ↓ さかさまに送るなよ

image1 - コピー (3)
これを上下戻すのは大変だったのよ・・・
   

       
   

    


       


さてこの五十二身像       
   


 平等院雲中供養菩薩像52体と同じ数なのです     

        
  雲中供養菩薩像52体の構成の典拠については、いろいろな議論があります
(たとえば、金剛界曼荼羅の十六大菩薩、八大菩薩、浄土教の二十五菩薩、などなど、・・・)

雲中供養菩薩像の典拠がどこにあれ、
      

52という数に関して は、『覚禅鈔』のこの記事が裏付けをしている 、

つまり、現状の雲中供養菩薩像が52体であることの裏側からの根拠となっているという説があります       
   

        



この説に関して、

私はこう思うのです



雲中供養菩薩像 52体という数そのものが、確定数ではない

現状の52体の雲中供養菩薩像は、現在では一括して鳳凰堂創建当初すなわち天喜元年(1053)に制作されたということで「国宝指定」されていますが、
個別に検討すれば、中には、作風から明らかに鎌倉時代の作と思われるものもあり、
さらに、現在にい至るまでに外部に流出したのではないかと思われる 像が外部に存在しています



そもそも中世に平等院のあのあたりは戦場となりました
源平の争乱( 治承4年(1180)の「橋合戦」(以仁王の令旨で平氏打倒の兵をあげた)、承久の変(承久3年(1221))、南北朝の争乱(元弘元年(1331)、後醍醐天皇は平等院で神器を持明院統の光厳天皇に渡すよう求められ断る)、
楠正成の宇治辺放火(建武3年(1336)正月2日)→平等院灰燼に帰す焼け残ったのは阿弥陀堂(鳳凰堂)、鐘楼、北大門『太平記』)

その後も、山城国一揆などもあり、結果的に
現在では、鳳凰堂以外の堂はすべて後世の建て直しとなりました

半面、鳳凰堂は創建当初から地盤の悪さゆえに不同沈下を起こし
修理を繰り返して現在に至るという面もあるのです



それなのに、頼通さんのころから ずっと同じ52体をキープしてきた なんてそんな奇跡は考えづらいのです


したがって、当初は52体ぐらいだった かもしれませんが、ぴったり52体だったという保証はどこにもなく

『覚禅鈔』の記事による52体の裏付け説は無理があると考えざるをえません


つまり、雲中供養菩薩像の構成を考える上で、52体という数に 厳格に縛られる必然性はない

ということだと考えます





   

それにしても、木の上に菩薩が、駅前の木のムクドリみたいに止まってるって
一体どういう発想なのかしらね?

藤沢駅前のうるさいムクドリを思い出しちゃいますよ・・・・
鎌倉駅表側の派出所の前にもムクドリのうるさい木がありましたが、あれは伐り倒されてしまいましたね・・・(おかげで横浜銀行側の木がうるさくなりましたよ)





   






密教の根本儀軌と呼ばれるものに

不空訳『無量寿如来観行供養儀軌』

というものがあります(大正蔵19、67b-72b)




これは、阿弥陀如来を前にして、自分と阿弥陀が一体化し、死後極楽世界へ上品上生の往生を決定するための阿弥陀の修法の方法を記したものですが、

面白いのが、たくさん描いてある印相

なのです
(絵は別のところからとりました)

私は信心はありませんし、ましてや
行者ではありませんので(でも餃子は好き)
やったことはありませんが

おそらく今でも密教の修行者さんはリアルにやっているのではないかと推察いたします


何しろ 、極楽へ、迅速に!上品上生で往生!

・・・なんて、怪しいキャッチコピーのにおいがしないでもありませんが(←そんなこと言っちゃバチがあたるよ)



とりあえず、


印相コレクション、スタート!
(出てきた順番にやってみてくださいね)



あ、もう一つ、印を結ぶと同時にそれぞれの真言をとなえています(省略)




蓮華合掌
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浄三業真言(現代語訳)「行者は極楽世界にいて、無量寿如来、並びに諸菩薩、眷属に対面して五体投地すると心に想え」







仏部三昧耶印(無量寿如来の三十二相八十種好を極めて明瞭に想え)
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蓮華部三昧耶印(観自在菩薩が 具えた吉祥な特徴などなど・・を心に想え)
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金剛部三昧耶印(金剛蔵菩薩の相好の以降、並びに無量の執金剛眷属に囲まれた様子 を
想え)
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被甲護身印(金剛の甲を身にまとうことを成就する)
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地界金剛橛印(堅固な金剛の座を成就する)
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金剛しょう印(炎が行者の身体を右回りに三周すると心に想う。杭を打ち込んだ前の地界とつりあいをとり、金剛の堅固な城郭とする)
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大虚空蔵菩薩印(無量の供養の品、衣服、飲み物、食べ物、宮殿、楼閣は流れ出る)
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如来拳印(道場観)(三千大千世界を転変して、極楽 浄土を成就する。七宝を地とし、水鳥や樹木すべてが法音を奏でる。無量の荘厳は経典(無量寿経、阿弥陀経)に説かれる如くである。
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宝車(宝車請)(車がやってきてこの世にとどまっていると想う)
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迎請聖衆印(無量寿如来は悲願を捨てず、この三摩地が成就した極楽 の道場や、無量俱ていの菩薩の大きな会座に赴き、行者の供養を受け取り、すぐさま「上の上」の成就を獲得 させる)
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馬頭観自在菩薩印
(悪魔を退け除く結界を作る)
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金剛網印(加持の力により上方を金剛でできた堅固な網でかぶせる。行者は三摩地がたやすく成就できる)
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金剛火院界印(金剛の 塀の外を火焔が囲み、堅固で清浄な火院の大界を成就する)
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献閼伽香水印(行者の三業を清浄にする。一切如来の甘露の法水を得て、灌頂が授与される)
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蓮華座印(華座)(無量の金剛でできた蓮華が流れ出し、極楽世界に遍在して、無量寿如来、諸大菩薩、一切の聖なるものたちが、各々この金剛蓮華を 座としたと心に想う)
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広大不空摩尼供養印(普供養)(死後は極楽世界の蓮華に化生し、衆生を救済する。心を澄ませ、無量寿 如来を観察する。無量寿如来の諸々の相好を具えた荘厳、無量の眷属の荘厳、 極楽国土の荘厳を極めて明瞭に眼前に対面する ごとくする。つつしみ心から、一心にかの極楽浄土に往生しようと願う。念じ続けて 継続する)
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・・・・というわけで、この後、前回記事にした阿弥陀大呪や小呪、行者が定印を結ぶ など、阿弥陀法が展開していきますが、

この先は、もう、絵がないの(*゚∀゚)っ


なので、ここで『無量寿軌』の印についてはおしまいです




さて、どの印相が気に入りましたか?


・・私的には、コップ持ってるみたいな閼伽がおススメね(⌒∇⌒)

贅沢いうなら、閼伽(=水)じゃなくて、カフェオレボウルとかでもよかったな・・・



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参考: 中御門敬教「阿弥陀仏儀軌書における往生観の受容と統合―『無量寿如来観行供養儀軌』を事例としてー」
   (印相の絵もこちらからいただきました)


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