このお寺、個人的にドッキリポイントが沢山だったのですが、
その前にまず、お寺の沿革など、桜井市観光協会のページから引用しますね
(ここから引用)
「三輪にある曹洞宗の寺院,平等寺(びょうどうじ)は、三輪別所ともいい本尊は十一面観音です。かつては三輪明神(現・大神神社)の神宮寺でもありました。伝承によれば、聖徳太子の開基、中興の祖、慶円上人(1140~1223年)を迎えるに及び、東西500m、南北330mの境内に、本堂、護摩堂、御影堂、一切経堂、開山堂、赤門、鐘楼堂のほか、12坊舎の大伽藍を有し三輪社奥の院として、由緒ある名刹でありました。
しかし1868年(明治元年)、神仏分離令が出ると、1870年(明治3年)には、大神神社の神宮寺であった平等寺は、ことさらにそのあらしを強く受け、有名な金屋の石仏をはじめ61体にのぼる仏像が他所に運び出され、堂塔は、ことごとく整理を迫られ三輪神社の神官が管理するにいたり、堂舎は破壊され、平等寺は廃寺となってしまいました。」(引用終わり)
この歌の内容は、男性が海石榴市で出会った女性に名前を尋ねるというだけのことですが、当時は名前を尋ねることはプロポーズを意味し、女性が名前を教えることは結婚OKということでした。解説にもありますように、この歌の場合には名前を教えてもらえなかったようです。」