国宝 法華寺十一面観音立像
私が法華寺に初めて行ったのは、高校2年の修学旅行でした(もちろん、20世紀の出来事)
台風直撃の奈良で、初めの計画が中止になり、急遽組まれたコースに法華寺が入っていました
法華寺の場所は、もともと藤原不比等の屋敷のあったところです
不比等亡きあと邸宅跡は不比等の娘光明皇后の皇后宮職となり、不比等没後25年に官寺に改められました
光明皇后といえば、お父さん不比等を敬愛し、署名にも「藤三娘」(不比等の三女)と書いたことでも有名
光明皇后といえば、お父さん不比等を敬愛し、署名にも「藤三娘」(不比等の三女)と書いたことでも有名
その筆跡が↓ 私は好きです
この方の書のテキトーさ加減について、私はかねてより、恐れながらとても共感するものがありました
現代なら、彼女は「ノートがきたない子」でしょうか?(^◇^;)
話がしょっぱなから脱線してしまいますが、wikiにも光明皇后の筆跡について、面白いことが書いてあったので、ちょっと引用しちゃいます
↓
「筆力は雄健であるが、文字構成の軽視が目立つ。紙には縦線があるので気をつければ文字列を整えるのは容易なはずだが、表題の「楽毅論」からいきなり右にずれ、その後も真っ直ぐ書くのを二の次とし、行間も不揃いである。文字の間隔や大きさも不均一で、行末で文字が小さく扁平になってしまう誤りを何度も繰り返す。文字単体を見ても、毛筆の状態が良くなかったのか、筆先が2つに割れたりかすれている箇所がしばしば見られ、均衡を欠いた結字も散見する。しかし、流した文字が一切なく、日本の書道史上殆ど類例のない強く深い起筆、強い送筆、そして強く深い終筆のもつ表現力が、構成の杜撰さを覆い隠し、光明皇后の強い決意と決断を感じさせる魅力的な作品に仕上がっている。」書家の石川九楊は『楽毅論』を以上のように読み解き(後略) https://ja.m.wikipedia.org/wiki/光明皇后
そんな憎めないテキトーさの垣間見られる光明皇后ですが、ナント美人で知られた方だったようです
そしてその美人さんの光明皇后のお姿を写した と伝えらえるのが、この十一面観音像なのです
なんでも、十一面観音は、光明皇后が蓮池を散歩する様子を写したのだとか・・ そうやって見てみると、右足は一歩踏み出して蓮台からはみ出しそうだし、右足の親指は少し上に反り動きがあります
これが(よく言われるように)歩いている表現なのかしら?私には「休め」の足にも見えてしまいますけどね…(^◇^;)
風動表現と制作年代
横からこの像を見ると、前に一歩出した右足の表現とともに、裙や条帛、天衣などが身に圧着し、裙の裾が後方になびく様子から、歩行中の像があゆみを止めた瞬間をとらえた、「風動表現」をとると解釈する説があります
この「風動表現」の説をさらに進めたのが井上正氏です
氏によれば、右足が少し前に出ているとはいえ踏割蓮華に左右の足がそれぞれ載せられておらず一つの蓮台に乗るこの像に「歩行感」を読み取ることは「やや無理」であること、足と蓮台との密着感が強いこと、髪や天衣の動きが歩行によって生まれる風にしては強すぎることから、この十一面の表現は、観音の「神変」すなわち観音自らがその神力を衆生に示すために吹かしめた霊風を表現した「風動表現」であると言っておられます
↓風になびく髪の毛
確かに風が吹いているようにも見える……これが「神変」の表現か?
井上氏によれば、この風動表現の起源は、8世紀前半中国盛唐期の画家呉道玄の影響であると言います
そのころの中国の画風には対照的な2つのものがあり、「呉帯当風 曹衣出水」(北宋・郭若虚『図画見聞誌』所引)と呼ばれ、「呉家(呉道元)の描く帯は風に当たって舞い翻り、曹家(北宋・曹仲達)の描く衣は水から出たばかりのように、衣が肉身にぴったりと密着している」という意味を表すそうです
この呉道元の画境の中核は、中国古来の「気 」の表現の復活であり、髪・天衣・裳・帯などを風に動くように表現することで、内在する気を表現したということだそうです
井上氏は、法華寺十一面観音像の風動表現の卓抜さなどから、唐人の作であることを推定し、制作年代については法華寺開創の天平7年(745)と解釈しています(井上正『7-9世紀の美術 伝来と開花』岩波書店)
この井上氏の説は、制作年代に関する説としては一番早い時期のもので、 このほかには、8世紀第2四半期説、9世紀第3四半期説などがあり、ずいぶんと幅があるものだと思います
つまり、制作年代 は
①9世紀第2四半期説
②8世紀第2四半期、唐工制作説
③9世紀第3四半期説
の3つがあります
①~③のどれが妥当かって?……そんなこと、私にはわかりませんよ (②はいかにも早すぎるんじゃないかとも思いますけどね)
そのころの中国の画風には対照的な2つのものがあり、「呉帯当風 曹衣出水」(北宋・郭若虚『図画見聞誌』所引)と呼ばれ、「呉家(呉道元)の描く帯は風に当たって舞い翻り、曹家(北宋・曹仲達)の描く衣は水から出たばかりのように、衣が肉身にぴったりと密着している」という意味を表すそうです
この呉道元の画境の中核は、中国古来の「気 」の表現の復活であり、髪・天衣・裳・帯などを風に動くように表現することで、内在する気を表現したということだそうです
井上氏は、法華寺十一面観音像の風動表現の卓抜さなどから、唐人の作であることを推定し、制作年代については法華寺開創の天平7年(745)と解釈しています(井上正『7-9世紀の美術 伝来と開花』岩波書店)
この井上氏の説は、制作年代に関する説としては一番早い時期のもので、 このほかには、8世紀第2四半期説、9世紀第3四半期説などがあり、ずいぶんと幅があるものだと思います
つまり、制作年代 は
①9世紀第2四半期説
②8世紀第2四半期、唐工制作説
③9世紀第3四半期説
の3つがあります
①~③のどれが妥当かって?……そんなこと、私にはわかりませんよ (②はいかにも早すぎるんじゃないかとも思いますけどね)
このお像は、髪の毛や装身具(花冠、臂釧など)に銅板を使っていますが、一木造で木地仕上げです
このような木彫像は平安時代9世紀に行われたもので、これより後になると乾漆併用(木屎漆併用)となっていくそうです(渡岸寺、室生寺)
じゃあ、いつ作られたのか?・・・そんなこと、私にはやっぱりわかりませんけど、いつの生まれであれ、お美しいことに変わりはないので、それでいいじゃないですか?(*´∇`*)
「十一面の作り方」について
ところで、十一面観音の表現方法については、2種類の経典に依ると考えられます
それは、
①654年アジクッタ訳『十一面観世音神呪経』(大正蔵18、824b)、
②656年玄奘訳『十一面神呪心経』(大正蔵20、154a)
の2つで、どちらもサンスクリット原典の漢訳です
どちらも似たような表現ですが、これがばっちり法華寺十一面の表現に反映されています
まずは、経典の内容から 見てみますね
②玄奘訳のほうが短いのでそちらから、該当箇所を引っ張り出します
どちらも似たような表現ですが、これがばっちり法華寺十一面の表現に反映されています
まずは、経典の内容から 見てみますね
②玄奘訳のほうが短いのでそちらから、該当箇所を引っ張り出します
(太字が原文、カッコ内は はなこテキトー訳)
「応当先以堅好無隙白栴檀香。刻作観自在菩薩像。」 (白檀をつかって、観音像を彫る←テキトー訳)
(中略)
「 左手執紅蓮華軍持。展右臂以掛数珠。及作施無畏手。」(左手には紅蓮華を持ち、右手には数珠を垂らして掛ける。施無畏手を作る。)
「其像作十一面。当前三面作慈悲相。左辺三面作瞋怒相。右辺三面白牙上出相。当後一面暴悪大笑相。頂上一面作仏面像。諸頭冠中皆作仏身。其観自在菩薩身上、具瓔珞等種々荘厳」(その像は十一面で、 前の三面は慈悲相(優しい相)、左三面は瞋怒相(怒った相)、右三面は白牙上出相(白いキバが出た相)、後ろ一面は暴悪大笑相、頂上の一面は仏面像。頭にそれぞれ仏(仮仏)をあらわし、瓔珞などの荘厳で飾る)
①アジクッタ訳で②と違うおもな所は、
玄奘訳「前三面慈悲相」→アジクッタ訳「右三面菩薩面」、
「左辺三面瞋怒相」→「左廂三面瞋面」、
「右辺三面白牙上出相」→「右廂三面以菩薩面。狗牙上出」、
「後一面暴悪大笑相」→「後有一面当作笑面」、
「頂上一面作仏面像」→「其頂上面当作仏面」
というところで、内容はよく似るかと思われます
つまり、十一面の作り方は
前三面が優しい菩薩顔、左三面が怒った顔、右三面は白いキバ、後ろ一面は暴悪大笑面、頂上に仏面(②では像)
↑このようになります
これを、上から見たら↓こんな感じ
実に賑やかな頭です(うるさいだろうね)
法華寺の場合、頭上面だけで、合計十一面になってしまい、
本面を加えると12面になってしまいます
法華寺の場合、頭上面だけで、合計十一面になってしまい、
本面を加えると12面になってしまいます
話を 経典にに戻しますが
①アジクッタ訳の方を見ると、
「其十一面各載華冠。其花冠中。各各安一阿弥陀仏」(十一面のそれぞれに、華冠をいただき、花冠の中にそれぞれ阿弥陀仏をおく)と続いています
ええ?頭の上の十一面のその上に冠をかぶせるんですって??花をかたどった冠なら かわいいこと間違いなしですけど、これを現実にやってみると、「超細かい作業」となること間違いなし! でもありますね
それも含めて頭上の 十一面をみていきましょうか?
頭上面
・・・・ということで、ここから法華寺十一面観音の頭上面を具体的に見ていきます
・・・・ということで、ここから法華寺十一面観音の頭上面を具体的に見ていきます
・前三面(菩薩面) まずは、正面の菩薩面三面です
どれどれ、もっと拡大してみますね
うわ、3体こっち向いていますね
↓なんと、『千と千尋 の神隠し』に出てくる頭だけの3おじさんを思い出してしまったわ (゚∇゚ ;)エッ!?
・・とかいうことはどうでもよくて、上の菩薩面3面をよく見ると、それぞれに花冠をかふり小さな阿弥陀仏まで彫られていますね(いくらなんでも頭上面は別材だそうですし、小さな 化仏はすべて後世のものだそうですけどね)
・次に左三面(瞋面) を見てみます
はい、もっと拡大↓
ぎょぎょぎょ!
眼を見開いて、怒ってますね~(近寄らないようにしましょう)
眼を見開いて、怒ってますね~(近寄らないようにしましょう)
・さて次は右三面(狗牙上出面)
はい拡大↓
ほんとだ、牙を下から上に向きだしていて、こちらも怖いですね
このキバの3面の顔の表情は、聖林寺など古い時代のものは優しい表現のようですが(画像ないです)、
時代 が下ると牙をむきかつ怖い表情となるそうで、このあたり、制作年代を考える材料になるかもしれませんね
ちなみに①アジクッタ訳では「菩薩面。狗牙上出」となっていたので、この 3面は アジクッタ訳とはちょっと違いますね
すいません大きな画像がありませんが、後頭部全体こんな感じのようです
大体、法華寺十一面観音自体が、公開期間中でないとお厨子がしまっていて拝することができないくらいで、
後頭部 をこの目で直接見る機会なんてたぶんやってこないんじゃないかという意味で貴重な後頭部ですね(´∀`*)
・頂上部 仏面・・ 最後はてっぺんの一面です
ここは、頭だけではなくて肩まで彫り出されている ようで、②玄奘訳のほうに「仏面像」と あったものの表現のようです
その他の表現
・右手はどうなっているの?
十一面観音の右手の表現については、先ほどの
①アジクッタ訳では
「右臂垂下。展其右手。以串瓔珞施無畏手。」(右手は下げて瓔珞を施無畏手が串(つらぬく))
②玄奘訳では
「展右臂以掛数珠。及作施無畏手。」(右手に数珠を掛けて、施無畏手を作る)
① ②で微妙に表現が違います
法華寺十一はどうなってる?
ううむ、指がぷにぷにしていてかわいいということしかわかりませんけど?
今度は脇から見てみます
これはどうなっているかというと、前から天衣が回り込み、後ろに向かって出ている状態
①では瓔珞がつらぬく、②ではj数珠を掛けるとなっていてどっちでもないですね~
もしかしたら元々は瓔珞か数珠を執っていて、なくしちゃったのかもしれませんね・・・
・三屈法
改めて正面から全身を見ると
腰をひねり、片方の膝を遊ばせる三屈法をとっています
うまくバランスの取れた姿勢は大変に美しいです
今度は脇から見てみます
これはどうなっているかというと、前から天衣が回り込み、後ろに向かって出ている状態
①では瓔珞がつらぬく、②ではj数珠を掛けるとなっていてどっちでもないですね~
もしかしたら元々は瓔珞か数珠を執っていて、なくしちゃったのかもしれませんね・・・
・三屈法
改めて正面から全身を見ると
腰をひねり、片方の膝を遊ばせる三屈法をとっています
うまくバランスの取れた姿勢は大変に美しいです
この像を彫った工人は幸せだったでしょうね
ほかにはどんな仏様 を彫ったのでしょうか?
現代にまで伝わっていないであろうことが、 残念ですね
ほかにはどんな仏様 を彫ったのでしょうか?
現代にまで伝わっていないであろうことが、 残念ですね