テレビで厚切りなんとか言う人が言ってたんだけど……
「七転び八起き」って、よく考えたら、
「七転び」したら「七起き」で足りるって!
ホントだ!目からウロコ!
どうして、今まで気づかなかったんだろう?
比叡山の東塔、西塔、そして青龍寺に行ったところまで書きましたが
ようやく横川です
もう、この、横川って響きが好きで、ここまで絶対辿り着きたかったんです
西塔から四キロ北にあるそうです
青龍寺で時間を消費していたので、
急ぎたい!急いでみなさん!
……と思ってたのに、みんな、横川入り口で お祭り に引っかかっちゃった……(^◇^;)
みんな、クジ引きに並び始めちゃった……
関西に住むみなさんは、いつでも来られるけど、鎌倉から初めて比叡山に来ている私は三塔全部1日で全部見たい!先に進みたい!クジ引きはどーでもよい!
と、ここで、おじさんズもせっかちのようで、また私と3人で、若い衆をおいて先行します
ちなみに、クジ引きでは、苗木を当てた人が2名もいました!
(一人の男の子は、下宿なので、かえって困っていました)
(一人の男の子は、下宿なので、かえって困っていました)
冬期はお寺は4時閉門が多いですよね
この時すでに、3時20分くらいだったと思うんです
気分は焦る!
横川について
横川を開いたのは円仁で、後に良源により整備されました
円仁は、15歳で最澄に弟子入り、二十年余の籠山ののち、関東に巡行し、再び叡山に戻りました
そのころ、円仁は体が衰弱し、死を予感したため、横川に隠棲して草庵を建てました
その後、お薬が劇的に効いて 、円仁は回復しました!
これを機に法華経写経を始め、一宇を建立しました これが、横川首楞厳院(しゅりょうごんいん)です
横川中堂~荒波に浮かぶ遣唐使船の形
このお堂は円仁帰朝後、848年に開創されました
円仁が入唐の際に遭難しそうになった船中で観音を祈ったところ、毘沙門天が現れ嵐がおさまったので、帰朝後自作の聖観音を本尊にすえ、脇に毘沙門天を置いたそうです(円仁は、病気にも、嵐にも打ち勝つ、強運の持ち主なんですね)
後に良源が不動明王を加えたそうです
その後、建物は、信長の焼き討ちで焼失(信長ったらもう・・)
慶長年間に再建、昭和17年の雷で焼失、昭和46年に伝教大師1150年大遠忌を記念して復元されたそうです
建物は、創建当時の様式を踏襲し、屋根の形は遣唐使船の形になぞらえ、荒波に浮かぶ船形で、舞台造りです
円仁作といわれる本尊聖観音は、写真撮影できませんでしたが、腰を左に曲げて立つ、優美な観音様でした
この聖観音は戦火をまぬがれ、四季講堂に仮奉安されていましたが、昭和46年に横川中堂に戻されたそうです
お堂内部には、ミニ西国観音霊場もあり、篤く信仰されてきたお寺だけあって、雰囲気が濃い
さて次、
恵心院(華台院)~拝観可能になっていました!(o^∇^o)ノ(うれしい)
「恵心僧都の旧跡で、藤原兼家が元三慈恵大師(良源)のために建立した寺です。……
恵心僧都は恵心院に篭り、仏道修行と多くの著述に専念され、有名な「往生要集」や「二十五三昧式」……を著し、浄土教の基礎を築かれました。……」
と、あります
そうです!
恵心院といえば、恵心僧都源信
源信については
ここ恵心院は、源信が初めて念仏三昧行を修したお堂です
入口には、
南無阿弥陀仏 の石柱 ➡︎こっちだよの看板も
石柱には、「南無阿弥陀仏」の六字名号と、側面には源信の命日「六月十日」が刻まれているそうです(ピントがあまくて良く見えないのが残念)
簡素なお堂が見えてきました
中には阿弥陀如来立像
よっこらしょ (´∀`*)
お堂公開期間中は、バイト?のおばあさんが中を守っておられました
堂内のスペースが狭くて、みんな入るとギュウギュウになりました
そういえば、源氏物語にも、横川僧都という名前は時々出てきましたよね
恵心僧都について、各種の文章や、『往生要集』だけでなく
実際の恵心院を訪れたり、
源氏物語の中にもその名前を確認できるということは、
「その人が本当にその時代にこの場所にいたんだ」ということを実感して再確認することになり
こういうことが、学んでいることの喜びにつながるのだと思うのです!
恵心院のバイト?のおばあさんの話が意外にながくて、
時計を見ると15時50分!ひゃ~ 急げ急げ!
慈恵大師良源(元三大師)の住房、定心房と呼ばれていた場所です
良源についてはこちら
良源は毎年春夏秋冬ここで、大乗経典を講じ、横川の学徒をあつめて論議を行いました
そのため、ここは四季講堂と呼ばれました
始めは弥勒菩薩を本尊としていましたが、現在は元三大師を本尊にしているため、元三大師堂、「横川のお大師ささん」と呼ばれているそうです
良源は、角大師、おみくじ創始者として、知られています
角大師
これを、玄関の、外から見える場所に貼っておくと、いいそうですよ
(小さいサイズを一枚買いました)
角大師についてはこちら
このあたり、すっかり落葉の風景
そして、もう一息頑張る!
比叡山四大魔所の一つ
元三大師御廟(良源のお墓)
良源は霊力が強く、別名「降魔大師」というそうです
その良源のお墓は横川の一番奥にありました
ここは、鳥居があるんですよね~なんでだろう?
くぐりま~す
こわい~
すでに四時をまわっていましたが、 このあたりだけで
「ぐえっ、ぐえっ」という鳥の声が降ってきて
変な雰囲気・・・Σ(゚д゚;)
さすが、四大魔所と呼ばれるだけのことはあると
妙に納得してしまいました
急いで、駐車場に戻ります
横川駐車場で、日は暮れてしまいました
このあと、京都に戻る途中に見えた大津の町は明かりがちらほら
ここから、鎌倉まで帰るのは、私だけ
まるで、子供のころ、遠くの公園までいって日が暮れそうになって
あわてて家路についた時のような心持になりました
・・・・が、京都駅の新幹線乗り場はそんな郷愁をふっ飛ばす人出
お土産売り場もお弁当売り場も、見たことのないほどの長蛇の列
大きなカブまで並べて売られていました(買おうかと思ったけど、たいそうな荷物になってしまうのでやめました)
苦労して買ったお弁当はこれ↓
帰りの新幹線の中で、いただきましたよ
京都駅で買うお弁当は、楽しいですね
家には、定番「柿の葉寿司」を買いました
日帰りで参加した比叡山行きは
自力では回り切れないような盛りだくさんのコースでした
今まで、しり込みして行ったことがなかったのですが
思い切って参加して、大変に勉強になりました
特に、密教的な観点からというよりは
浄土教が起こる起点になった場所という意味で
私には感慨深いものでした
やっぱり、こってりした密教よりも、
あっさりした浄土教のほうが、好みかも!?
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コメント
コメント一覧 (2)
円仁がここで元気を回復したというのは、過労だったのがここで静養して良くなったんじゃないのか・・・とも(^_^;)
源氏物語の横川僧都も、ここに引っかかってくるんですね。
また元三大師御廟といえば、平安京の鬼門の比叡山のさらに鬼門と言われてる場所で、元三大師は、ここに葬られることで全てを守っているんだそうです。
もう神様みたいな存在ですから鳥居も建てられているんでしょうか・・・(^^ゞ
ところで、「七転び八起き」ですが、起きる所から始めるか、転ぶ所から始めるかで、「起き」の回数が違ってくるのでは?(・.・;)
さすが京都の方は、比叡山について、地に足のついた捉え方をなさるんですね。
鬼門の鬼門なんですか…相当気持ち悪いですね。薄暗かったせいもありますが、嫌な感じがしましたし、変な鳥の声もあそこだけで聞こえました。何も考えていなかったのであっさり行きましたが、次回行くとしたら気持ち悪いかもしれません。
源信は、当麻寺近くの出身なのに、よくまあ、遠くまで行きましたね。
というか、各宗派を開いた偉いお坊さんたちも、みんな比叡山に行っていて、比叡山は凄いなあと改めて思いました。その凄さを少しだけでも体感できたとしたら嬉しいのですが…どうかしら?