この秋、奈良の円成寺を訪ねました

円成寺については、過去に大日如来について、少しだけ書いたことがありますが、秋に訪れたこともあり、大日如来のことを中心に再編成してまとめてみます






雨が降るお寺は、紅葉がむしろ鮮やかで

浄土の景観を思わせました








円城寺は、紅葉がきれいなだけではなく、わらび餅もおいしいお寺でした(´∀`*) 
この秋の円成寺(と岩船寺)の記事はこちら







円成寺はもともと東面する阿弥陀堂の阿弥陀如来を本尊とし、浄土式・舟遊式庭園が展開する浄土式伽藍配置をとります


でも、今、とりあげる、
運慶作大日如来坐像は、密教尊です

こちらの多宝塔の本尊です


伽藍配置は↓ このようになってます
①(黒い屋根)が東面する阿弥陀堂、
③が多宝塔
伽藍配置図は、円成寺HPより



円城寺大日如来は、
安元元年(1175年)11月24日~安元2年10月19日までの一年弱の間に、運慶により制作されました

運慶26歳の頃の、若さとみずみずしさに溢れた作品です

この後運慶により造られる仏像は、運慶工房で分担制作するようになるのですが、

円成寺の大日如来は運慶の単独の作品とされています

 
写真は、円城寺 HP



手の印相は智拳印
足は、右足を上に結跏趺坐します





横から見た姿




若々しくみずみずしい
張りのあるお顔             
 
(「国宝の美」上三枚)

毛彫りは細かく、髪のふらみも良く表現されています
宝冠のなかにある髻は高く、天冠台をつけて筒形宝冠をいただいています(宝冠は後補)
胸飾り、瓔珞、ひ釧、腕釧は当初


ヒノキの寄木造りで、玉眼をはめています
玉眼は、奈良の長岳寺が初例で、円城寺像も早い例です

条帛は別材でつくり、たくさんの釘で貼り付けています(しかも分厚い)



台座の墨書

大正十年、日本美術院長新納忠之助による修理の際に台座連肉部天板裏面から運慶真筆の墨書が見つかりました
 
読みにくいので書き起こします
「    運慶承    安元元年十一月廿四日始之
        給料物上品八丈絹拾参疋也
          已上御身料也

奉渡安元・・〔丙申〕十月十九日
   大仏師康慶
      實弟子運慶」 
          
仏師が造像銘記に作者名を記す例としては、これが最古の例です(この前の時代にもやっておいてくれれば、かなりいろんなことがわかったと思うんだけどね~定朝さんよ)



この墨書からわかることは

・給料は、絹だった
・制作期間が一年近くかかっており(11か月)、一体の仏像の制作期間としては長い


ということです
さらに
・「實弟子」とあるのは、「実子の弟子」のことと考えられます



ここから先の内容は↓
最新の技術により3D計測をして断面を比較した結果 最近わかってきたことです

康慶(運慶の父)作、静岡瑞林寺地蔵菩薩坐像を後ろに4°かたむけると、
 運慶作、奈良円城寺大日如来坐像にピタッと重なるのだそうです!


康慶作、静岡瑞林寺地蔵菩薩坐像 
image
これを、後ろに4度傾けると


運慶作、奈良円城寺大日如来坐像
 
これに、ぴったりと重なる!(O_O)!


つまり
運慶は、お父さん康慶の地蔵菩薩の型紙を借りて、4°かたむけて材に貼り付けて大日如来を彫った! ということになる!
(お父さん公認か、お父さんが型紙をくれたのかもしれないですね)

そのため、墨書銘は父子連名になっていると考えられるそうです




イメージとしてはこんな感じですかね? 


お父さんの康慶工房では、正面と側面の型紙を使って仏像制作をしていた…

 

角材から粗どりをするときに、型紙がいるわけですよね
型紙は、角材正面と側面に貼り付ける二枚が必要
(よく言う、「木の中に元々いる仏を仏師が彫り出す」というのは、少なくともこういう系統の仏師の仕事としては嘘だよね) 



運慶は、お父さんの康慶からこの型紙をもらい、側面の型紙を4度傾けて使った

 

像が後ろに4°傾くと、像 は反り身になり、胸前の空間は大きく空いてしまいます

空間の調整が必要になったため、像を裸にして彫り、智拳印を調整し厚みのある条帛を後から着せた、というわけです 

さらに、頭のてっぺんも、斜めに材が足りなくなったため、前が薄くて後ろが厚い補材が補われているそうです

このような調整に時間がかかったため、制作期間が一年近くかかったのではないか、と考えられるわけです

(この説は、藤曲達哉「円城寺大日如来坐像の造像工程の研究ー康慶から運慶へー」、東京藝術大学大学院博士論文、2013年3月に正式な内容が記されているそうですので、きちんとした内容 を知りたい方はそちらへどうぞお願い します )


まあ、調整にそんなに時間がかかるものかどうか、私には多少疑問に思えますけどね

本体彫るよりは随分と作業的には少ない仕事量ではないかと……


いずれにせよ、3D撮影のような、「現代の技術」がなければ、たんに「作風が継承されている」という認識だけで終わってしまったかもしれないものが
型紙が共通するところまで、「ばれて」しまうのは、仏師にとっては恐ろしいことかもしれませんね


それでも、この後の運慶の作品の華々しい展開をみれば、
彼が 、父からの技術を継承しながら、彼独自の高度な技術と繊細な作風を試行錯誤を加えながら新たに作り出していったことは間違いなく
やはり運慶の彫刻は一つの画期であり、素晴らしいという結論に変わりはないものと思います







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