最近、何年も前から挑戦しては、難しすぎて、数ページで放棄している論文に挑戦しています
これは、そこそこ有名な論文なんですが、
これを書いた偉い先生を私は個人的に存じ上げています(優しいおじいちゃまなのだ)
なので、わからなかったら直接聞けばいいのだけど
どこがどうわからないのか、何を質問したらいいのか、わからない
という状態で数年が経過してます
……ついに、この前、その先生に、
「私、この論文に再再挑戦しています」宣言をしてしまったの
そしたら先生が
「わからないところがあったら聞きなさい」
っておっしゃって下さったのですが、
今言ったようにどこがわからないのかわからない
「先生、私はどこがわからないんでしょう?(; ̄Д ̄) 」
「先生、私はどこがわからないんでしょう?(; ̄Д ̄) 」
なーんて、聞けないよね……(当たり前です!)
タイトルにしたように、2つの曼荼羅、
A. 現図系金剛界曼荼羅と
B. 円仁請来系金剛界八十一尊曼荼羅の違いについてです
A. 現図系金剛界曼荼羅と
B. 円仁請来系金剛界八十一尊曼荼羅の違いについてです
(比叡山の常行堂のところで、少し関連したことを書きました
まず、A. 現図曼荼羅についてですが、
これは空海が唐より請来した(持ってきた)両界曼荼羅の形式ことをいいます
両界曼荼羅は2種類あり、
①『大日経』に基づく胎蔵界曼荼羅と
②『金剛頂経』に基づく金剛界曼荼羅から構成されます
日本に残る最古の両界曼荼羅は、東寺の西院本曼荼羅(伝真言院曼荼羅)です
(空海請来系とは造形感覚に違いがあるともいわれていますが、ここではスルーします)
現図曼荼羅
東寺西院本曼荼羅(伝真言院曼荼羅 )
東寺西院本曼荼羅(伝真言院曼荼羅 )
①胎蔵界
②金剛界
鮮やかに色が残っていて、すごいですね
この両界曼荼羅は、たくさんコピーされたんですね
別の例を見てみます
浄土寺本
浄土寺本
①胎蔵界曼荼羅
②金剛界曼荼羅
部屋割りは、↓こうです
http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/mandara2.htm
さてさて、
金剛界曼荼羅には、この現図系のほかに、
B. 円仁請来(最澄の弟子円仁が中国からもってきた)のものがあります
つまり、 もう一回確認すると、
A. 現図系(空海請来) ①胎蔵界 ②金剛界
B. 円仁(最澄の弟子)請来系 金剛界八十一尊曼荼羅 (根津美術館本が唯一の現存例)
ってな感じになりますね
では、話を戻して
B. 円仁請来金剛界八十一尊曼荼羅
についてです
についてです
こちらは、現存例が根津美術館本だけになります
根津美術館本
Aの現図系の真ん中の部分↓(赤く囲った部分)
この赤く囲んだ部分=成身会を取り出して図にしたのが、「金剛界八十一尊曼荼羅」なのです
だからとても似てる!
この2つ、形がそっくりでとても似てますが、違うところも何箇所もあって面白いのです
今日、言いたいのは、ここからです(もう疲れた… でも頑張る……)
とりあえず、レイアウトと尊数を見てみます
現図系
①内側の正方形が第一重院
円の中に、5体×5=25体、
それから、内四供養菩薩4体(※のついたところ)
天部(地天、火天、水天、風天)の4体
②正方形の枠状になっている部分は第二重院
②正方形の枠状になっている部分は第二重院
賢劫千仏は隙間を埋めるようにウジャウジャ(画像で見てね)
四摂菩薩が4体
四摂菩薩が4体
外四供養菩薩 が4体
つまり、第二重院には、8体の菩薩
③その外側=第三重院(図には第三重院が描いてないのだけど、浄土寺本あたりの画像見てくださいね)
つまり、第二重院には、8体の菩薩
③その外側=第三重院(図には第三重院が描いてないのだけど、浄土寺本あたりの画像見てくださいね)
ここには、二十天、つまり、20体の天部
はい、全部で何体いたでしょう?
はい、全部で何体いたでしょう?
足し算します!
①+②+③
①+②+③
=(25+4+4)+8+20
=61尊
(賢劫千仏は除きます)
はい、現図系の成身会は61尊
金剛界八十一尊 (根津美術館本)
(賢劫千仏は除きます)
はい、現図系の成身会は61尊
金剛界八十一尊 (根津美術館本)
「八十一尊」っていうくらいだから、81体いるかしら?
見てみますね(^ー^)ノ
• 第二重院に賢劫十六尊
• 第三重院に四大忿怒
が加えられたところです
つまり、
(現図系の) 61+16+4=81尊
金剛界八十一尊となるわけです
(計算合いましたね!よかったわ )
では、この2つの相違点 についてみてみます
1 尊像の数と大きさ
全体だと小さくなるので、右上1/4カットでお届けします
現図系
第二重院の菩薩たちは、そんなに大きくないです
第二重院に白くびっしりいるのが、賢劫千仏
つまり、
(現図系の) 61+16+4=81尊
金剛界八十一尊となるわけです
(計算合いましたね!よかったわ )
では、この2つの相違点 についてみてみます
1 尊像の数と大きさ
全体だと小さくなるので、右上1/4カットでお届けします
現図系
第二重院の菩薩たちは、そんなに大きくないです
第二重院に白くびっしりいるのが、賢劫千仏
その中に、四摂、外四供養が枠からはみ出さないように収まっています
根津美術館本
根津美術館本
現図系との違いは
・第二重院に、賢劫十六尊がいること
・第二重院に、賢劫十六尊がいること
・第二重院の、四摂、外供養、賢劫十六尊が、枠からはみ出すくらいに大きい
・第三重院の四隅には四大忿怒(降三世、、大威徳、馬頭、忿怒月てん) がいる
……ということです
・第三重院の四隅には四大忿怒(降三世、、大威徳、馬頭、忿怒月てん) がいる
……ということです
もう一ヶ所、曼荼羅の右下部分も見てみますね
現図系
賢劫千仏がウジャウジャいる角に、外四供養菩薩
根津美術館本 では、
第三重院の角に降三世がいる!
どちらも美しい曼荼羅ですね
2 阿弥陀如来の尊容
これは以前にも書いたのですが
第一重院の西側(上側)は阿弥陀如来と阿弥陀の四親近菩薩で構成されています
この阿弥陀如来にも違い があります
現図系
真ん中の阿弥陀如来は、
・頭は螺髪
・衣は通肩(つうけん、両肩着ている)、
どっちがオシャレかなぁ……
3 台座の違い
これも、面白いです
現図系
代表して、
大日如来の台座を見てみますね
お澄まし顔してますね(≧∇≦)
台座を拡大・・・普通の蓮華座ですよね
根津美術館本
円仁請来系の台座は鳥獣座といって、動物の台座なのです(*´∇`*)
担当が決まってますよ(*^o^*)
どっちがオシャレかなぁ……
3 台座の違い
これも、面白いです
現図系
代表して、
大日如来の台座を見てみますね
お澄まし顔してますね(≧∇≦)
台座を拡大・・・普通の蓮華座ですよね
根津美術館本
円仁請来系の台座は鳥獣座といって、動物の台座なのです(*´∇`*)
担当が決まってますよ(*^o^*)
・大日如来と取り巻き(四波羅蜜)は獅子、
・阿閦如来と取り巻き(四親近)は象、
・宝生如来と取り巻き(四親近)は馬、
・阿弥陀と四親近は孔雀、
・不空成就と四親近は迦楼羅
つまり、各動物の担当エリアは(≧∇≦)
……と、こんな風になっています
では、それぞれの部屋の中はどうなっているか覗いてみますね
(どの部屋も同じなんですが)例えば大日如来のお部屋(担当動物は獅子)
…真ん中の大日如来は7頭の獅子が支える
その回り(この場合四波羅蜜)は1頭の獅子が支える
どのお部屋の動物たちも同じ頭数の構成になっています
では、実際の画像を見てみますよ
大日如来~智拳印を結び(←金剛界だから)、美しいですね
台座の部分を拡大して、よく見ると…
ほら、獅子が7頭いるでしょ?ヾ(=^▽^=)ノ
(大きな画像がないんだけど、大日如来のまわりの四波羅蜜は、獅子一頭の台座に座っておられます )
別の例を見てみます
こちらは、
第一重院の内四供養菩薩のうちの
第一重院の内四供養菩薩のうちの
金剛歌菩薩
内四供養菩薩も方向によって、担当の動物さん(獅子を除く、象、馬、孔雀、迦楼羅)がいますが(≧∇≦)、
こちらはそれぞれ一頭(一羽)で頑張ってますね(⌒-⌒)
「お、重い・・・」(とか思ってるんじゃないの?)
もっと細かくみれば、もっと面白いことが沢山あるかもしれませんが
とりあえず今回は、両者の違いについて書いてみました
曼荼羅は、ややこしいけどよく考えられていて、
美しいですね
内四供養菩薩も方向によって、担当の動物さん(獅子を除く、象、馬、孔雀、迦楼羅)がいますが(≧∇≦)、
こちらはそれぞれ一頭(一羽)で頑張ってますね(⌒-⌒)
「お、重い・・・」(とか思ってるんじゃないの?)
もっと細かくみれば、もっと面白いことが沢山あるかもしれませんが
とりあえず今回は、両者の違いについて書いてみました
曼荼羅は、ややこしいけどよく考えられていて、
なにしろ、とても、美しいですよね
文中、出典表記のない画像は
文中、出典表記のない画像は
東寺(教王護国寺)宝物館
『みほとけの群像 東寺の曼荼羅図』
根津美術館
『根津美術館所蔵 密教絵画 鑑賞の手引き』
からとりました
からとりました
人気ブログランキングへ
コメント
コメント一覧 (2)
で、そのムツカシイ中、私の頭でふと思ったのは、円仁請来系曼荼羅の現存例が一つしかないのは「なんでだろう?」って事で・・・(^^ゞ
円仁請来系曼荼羅は、現図系金剛界曼荼羅の成身会の部分をピックアップして、アレンジしたような物になるんですよね?(違うのかな・・・)
それはワケあって作られたんだと思うんですが、一つしか残ってないって事は、俗っぽく言うと「流行らなかった」って事になるんでしょうか?(・.・;)
うーん、よくわかりません!(*^o^*)
多分、空海は体系的に密教を学んで、キチンと資料を持ち帰り、それが国内でバーっと広まったんじゃないでしょうか?
円仁は、最澄が不完全に密教を持ってきたので、それを補うために入唐したので、遅れをとったから、イマイチ流行らなかった?…的な?…わかりませんが。
現存は一例ですが、他にも円仁請来系はあったようですよ。
現図系の成身会だけで出来ているのがどういう経緯かは、中国の中での問題なんでしょうが、勉強不足でわかりません。
現図系金剛界曼荼羅は、重複が多いので、結局真ん中だけでOKということかもしれません。手間暇、絵の具代の節約が理由だったりして……(^◇^;)