密教の根本儀軌と言われる『無量寿如来観行供養儀軌(無量寿軌)』(大正蔵19、67b-72b)には、修法の際に様々な印を結んで真言を誦えることが説かれていて、その印がいろいろと面白かったので、以前の記事でその図を載せてみたりしました

↓ その時の記事『無量寿如来観行供養儀軌』の世界~印がいっぱい』 


 
ところで、この『無量寿軌』を読み進めていくと、面白いことに気づくのです

初めに書いたように、『無量寿軌』は密教の根本儀軌ですが、とーーっても、浄土教チック なのです

例えば、その序文の中で
「我為当来末法雑染世界悪行衆生。説無量寿仏陀羅尼。・・・・・・決定生於極楽世界上品上生
なーんて書いてあります

つまり、単語を取り出すと、この世は末法であり、無量寿仏(阿弥陀仏)の陀羅尼・・・極楽世界に上品上生(の往生)が決定する・・・・とあり、まるで浄土教側の単語を使ってるような印象を受けませんか? 

浄土三部経の一つである『観無量寿経』では九品往生を説きますが、ここでは往生する人に応じて上品上生から下品下生まで九段階も往生の仕方が分かれていて、生前相当頑張らないと(お坊さんにでもなって真面目にやらないと )上品の往生なんて無理無理~ って感じなのに、 
密教側の『無量寿軌』で、上品上生の極楽往生限定コースが説かれているのです

・・・えー、こっちのほうがいいじゃん  ってことになりますよね? (まあ、行者にならないとダメかもしれないけど…)


さらに、『無量寿軌』は大呪という真言を誦えることによってもたらされる効能については次のように説いています
「大呪を、一遍誦えると一切の業障は消滅し、一万遍誦えると菩提心が体の中に現れ、満月のように輝く。臨終の時には無量寿如来(阿弥陀如来)が菩薩とともに来迎して、行者を取り囲む。そして極楽世界に上品上生で即生まれる・・・・」
などと書いてあって、阿弥陀や菩薩衆に取り囲まれてあっという間に極楽に、上品上生で行ける!ってまた書いてありますよ

・・・こりゃ、たまりませんねえ



大呪があるなら小呪、ってのも『無量寿軌』中にあります

この小呪は、『無量寿軌』では、「一遍誦えると阿弥陀経一回誦えるのと同じ!十万遍となえると阿弥陀如来を見ることができ、臨終のときに極楽世界に行くことが決定!」
なんて言っていますが、
この小呪は、日本ではさらに展開していき、阿弥陀如来を前にした密教の修法として発展していきます

その話はおいておくとしても、上に取り上げたように、密教を説く『無量寿軌』の中にも、浄土教に説く九品往生が説かれ、しかも浄土教を上回る効能を説いている・・・・って、すごいことだと思いませんか?

   
じつは、『無量寿軌』に浄土教の要素が多く見いだされること、そのうち浄土三部経の一つ『観無量寿経』からは上品上生往生について言及されていることはすでに指摘されていることなのです(中御門敬教『「無量寿如来観行供養儀軌』の研究ー中国における阿弥陀仏信仰の密教的展開ー』)



つまり、これは、末法の世の中にあって、なんでもいいから最高級の往生ですぐに極楽に行きたい
と、ちゃっかり思っている人(藤原頼通さん、あなたですよ!)にとっては、スバラシイ経典だったと思うのです
       
藤原頼通さんは平等院鳳凰堂を造営するにあたり、この『無量寿軌』、絶対に参考にして建てたでしょ?
と、私は思うのです



だから、上に書いたように「阿弥陀や菩薩衆に取り囲まれて」 なんていう表現と、雲中供養菩薩像が鳳凰堂の内部を取り巻いて設置されていることも、関連があるかもしれませんね


いずれにしても、『無量寿軌』は末法の時代にその効能が期待され、鳳凰堂に関して学者さんの言葉を借りれば

鳳凰堂の堂内荘厳に際して『無量寿軌』が「密教がわから一役を担うには誠にふさわしい儀軌」   (金子啓明『鳳凰堂阿弥陀如来像と観想』)であった、ということになるのではないかと思います


追記
では、なぜ、平等院と『無量寿軌』の話が一緒に出てきたか?……というと、
鳳凰堂阿弥陀如来の胎内には、阿弥陀大呪、小呪を輪書した月輪が納入されているからです
以前の記事にその辺のことを書いていますので、よかったらどうぞ〜〜

2016/9/15 平等院阿弥陀如来の胎内月輪↓
http://naranouchi.blog.jp/archives/65803811.html