ふと気づけば、今日は9月15日、中秋の名月の日でした
そこで、平等院鳳凰堂のあの阿弥陀如来坐像の内部に収められている
1 月輪と阿弥陀 大呪、小呪について
鳳凰堂の阿弥陀如来坐像はあまりにも有名ですが、意外と知られていないことに
胎内には、お月様が籠められています
↓ このよううに丸くて美しい
これ、上の丸い部分が月輪(がちりん)と呼ばれるもので、満月 を表しています
下の部分は蓮台です
全体をさして、心月輪(しんがちりん)と呼びます
阿弥陀の胎内にあったため、保存状態が非常に良く、制作当時の鮮やかな色彩 を残しています
明治の修理の時に、新納忠之助が模造品を作りましたが、そちらのほうが人目にさらされ、
平安の本物よりも劣化しているという話も聞きます
(上の写真は『国宝平等院展』という東博2000年発行のムック本からとりましたが、解説には「新納さんの模造品」と書いてありながら、訂正表が入っていて「本物」となっていて、ほんとはどっちなのか良くわかりません )
阿弥陀如来制作当時は、ちょうど阿弥陀如来の内部の胸のあたりに この心月輪がおかれていました
心月輪の上に書かれている文字は、
阿弥陀大呪(だいじゅ)、小呪(しょうじゅ)と呼ばれるもので、ここでは梵字で書かれています
まず、中心の唵 (オン )とこれを巡る第一重の 8字が阿弥陀小呪で
第二重から最外の第四重にわたって続く112文字が阿弥陀大呪です
文字は中心に向かって内向きに書かれれています
文字は、常に上から右回りです
では、この梵字をどう読むのか?
私も読めないので、読んでくれたものから引用します
阿弥陀小呪
「唵(オーム)、甘露(不死)の威力あるものよ、運べ、吽(フーム)。」
阿弥陀大呪
「三宝に帰命す。聖なる無量光(阿弥陀)如来・応供・正等覚者に帰依す。即ち、唵、甘露(不死)よ、甘露を発生するものよ、甘露の源よ、甘露の母体よ、甘露を成就せるものよ、甘露の威光あるものよ、甘露の勇猛なるものよ、甘露の勇猛を致すものよ、甘露の虚空作者よ、甘露の鼓の音よ、一切の目的を発生するものよ、一切の業と煩悩との滅盡をなすmのよ。婆縛賀(スヴァ―ハー)。」
以上は、高田修 さんという学者さんが読んでくれたものです
水野敬三郎さんという学者さんがちょっと違って読んでますので、それも載せてみます
小呪
「唵、甘露威力よ、運戴し給へ、吽。」
大呪
「三宝に帰依し奉る。聖なる無量光如来応供正等覚者に帰依し奉る。云ふなれば、唵、甘露能成尊よ、甘露能生尊よ、甘露胎蔵尊よ、甘露成就尊よ、甘露威光尊よ、甘露なる剛勇具足尊よ、甘露なる剛勇行歩尊よ、甘露なる虚空称誉作為尊よ、甘露なる鼓音声尊よ、一切の目的成就尊よ、一切悪業煩悩尽滅尊よ、成就あれ。」
ま、どっちも良くわからん(*゚∀゚)っ って感じですけどね
この阿弥陀大呪、小呪は、不空訳、密教の根本儀軌『無量寿如来観行供養儀軌(無量寿軌)』をはじめ、多くの経軌、事相書などに載せられていて、重要なものだったことがわかります
平等院阿弥陀像胎内月輪に書かれたものは、あまり字が上手ではないらしく(ひどい)、えらいお坊さんが下書きを書いて、その上から梵字なんかわからない工人がなぞったんじゃないか疑惑があるそうです
2 月輪観について
月輪を阿弥陀の胎内に籠めることは、仏に仏心が籠められることととらえられました
そして、月輪が胎内で皓皓と輝くことで、業障が消え、一切の妄念が消滅すると考えられたのです
これを意識的な行法として感性的に体験する鍛錬は月輪観と呼ばれ、
(浄土教の具現した世界と従来とらえられている平等院鳳凰堂なのに!)
密教の観法の基礎とされました
真言密教で有名なお坊さん、覚鑁(かくばん)の『月輪観頌』(1037~8)に そのやり方が書いてあります
(『月輪観頌』内容、原文省略)
「先ず、菩提心の比喩的な概念、意味内容を十分に理解することが強調される。
心身を整えて観法に入る。量一肘の月輪(一尺八寸 or二尺)を高すぎず低すぎない適当な位置に固定しそれに対面して月輪の菩提心に通ずる円満具足、内外明徹、潔白分明、自性清浄、清涼寂静、光明遍照など、月の清らかに澄んで皓皓と輝く特質を自分自身の心の中で体験し、晴天の満月のような月輪の形象を目を閉じても開けても、そこから一瞬も目をそらすことなく徹底して観察し、心が月であり、月が心であると観ずる。月以外の結びつきから生ずる他の表象は一切排除して、全意識を月輪に集中し、内的営みはすべて月輪から生ずると観ずる。全く月輪以外の表象が内部から消え、心が堅固不動のものとなったならば、普賢宮(普賢金剛薩埵の宮殿)に入り、微細の煩悩すら断ずる禅定(金剛定)に住するようにする。もし、心が散乱した場合には、意識を一処に集中し、心が鎮ったならば、月輪は鮮明に観えてくる。空中の月のように明了なビジョンとなったならば、その月輪を胸中に据え、心眼をもって内的にさらに徹底して観想する。そして、今度は固定した月輪を倍増して宇宙に満ちる様を明了に観察する。渡労して観想を終えようと想うならば、ふたたび一肘の大きさに戻して胸中に据えて出観する。」(金子啓明)
3 阿弥陀大呪、小呪
先ほど、阿弥陀大呪、小呪について、(わからないながらも)読み方を二種類ご紹介しましたが、
この意味は何でしょう?
①小呪
不空訳『無量寿軌』 によれば、十万遍これを唱えると、阿弥陀を観ることができて、命が終わるとき極楽世界に行くことが決まるそうです
さらに空海『無量寿次第』によれば、
①阿弥陀の相好の円満なるを観想し
②この本尊に心月輪があり、その上に秘密真言(阿弥陀小呪)があり、
③我が心月輪にも秘密真言がある
④本尊 が念誦するとき、本尊の口から秘密真言が出て、我の登頂から入り我の心月輪上に並び、
⑤我が念誦するとき、我の口から出て、本尊の足から入り、本尊の心月輪の上に並ぶ
これによって本尊と我が一体となる
というのです
上の関係を図解すると
絵が下手v( ̄∇ ̄)v
これと同様の観法は阿弥陀の道場観として、『別尊雑記』等にも書かれています
②大呪
こちら、前出の大呪の文 を読んでいただければわかるのですが、「甘露」とうという 語を10個含むことから、
阿弥陀の甘露呪などと呼ばれることもあるようです(おいしそう)
『無量寿軌 』によれば、わずか一遍唱えると、諸悪諸業障を消滅し、満一万遍を誦せば菩提心が現身中に浄月の如く現れて、命終わるときには阿弥陀如来と諸菩薩衆が来迎して、極楽の上品上生の往生ができる そうです
4 平等院が嚆矢
月輪に真言を輪書することは『尊勝仏頂脩伽法 軌儀』という経典に基づくようですが、
インド、中国には残された 例が なく、日本のみで行われたそうです
しかも平等院が初めての例なんですって!!!
満月って、今でも観るとうれしいような妖しいような気持ちになりますが、
平安の頃には、もっともっと深い深い意味があったんですね
あれ?でも、うさぎ とか、お饅頭と出てきませんね~
そっちのほうが大事なのにね
参考文献
高田修「鳳凰堂本尊胎内安置の梵字阿弥陀大小呪月輪考」
水野敬三郎「平等院鳳凰堂阿弥陀如来像とその納入品」
金子啓明「鳳凰堂阿弥陀如来像と観想」