中世の伊勢神宮について、とりわけ外宮のトヨウケが内宮アマテラスに対して、どのようにしてその地位を高めることに腐心したのかということについて、まとめました


元々外宮トヨウケは、内宮アマテラスの御饌都神すなわち食事を提供する神様であったため、立場は内宮アマテラスの方が外宮トヨウケよりも偉かったのです


外宮は考えました

なんとか、アマテラスと対等に、いやいやアマテラスよりも偉くなりたい!

これをあれこれと考えたのが、外宮の度会さん、つまり、度会神道外宮の神道であり、トヨウケの地位向上を目指す神道だったわけです


以下のまとめの文章中に出てくる古文書等は原文を載せると容量が大きくなってしまい、一つの記事にできないようなので原文は割愛しました

(図書館等で比較的簡単に見つけることができると思います)


なお、この内容は個人的にまとめたものですので、内容には責任をおいません 

したがっていかなる目的であれ引用はお断りします(レポート等に耐えられる内容ではありませんから)

 


1.伊勢神道の形成~トヨウケの誕生から機前の始元神天之狭霧国之狭霧になるまで

⑴伊勢神道とは、外宮神官渡会氏により形成された神道で、その主な目的は内宮に対する外宮の地位を高めることにあった。それは、外宮が祀る豊受大神(以下トヨウケ)の地位を、内宮祭神の天照大神(以下アマテラス)に対して恣意的に高めるもので、鎌倉後期から南北朝にかけて最も活発であった。なお、トヨウケは記紀神話の神代には登場しない神である。


⑵『止由気宮儀式帳』

 これは9世紀の古い資料である。雄略天皇の時(5世紀)にトヨウケについての記事があり、これがトヨウケの文献上の初出である。

   アマテラスが天皇の夢に出て、御饌を担当する神(御饌都神)トヨウケを丹波の比治の真奈井から迎えてほしいと神託を下したという内容である


⑶神道五部書(5つの書の総称)

 伊勢神道の流れは神道五部書から始まると考えられている。トヨウケの地位向上を図るために編集されたもので、奈良時代成立と言われるが、実際には鎌倉時代の偽作である。以下の五つの書の総称である(①②③は神道三部書)

 ①『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』(御鎮座次第記・次第記)

 ②『伊勢二所皇太神御鎮座伝記』(御鎮座伝記・伝記)

 ③『豊受皇太神御鎮座本紀』(御鎮座本紀・本紀)

 ④『造伊勢二所太神宮宝基本記』(宝基本記)

 ⑤『倭姫命世記』

成立は④が最も早く(鎌倉初期)、次いで⑤である(鎌倉中期)。

①②③は神道三部書と呼ばれ、成立はやや遅いものの、永仁四年(1296)の皇字論争よりは早いと考えられている。

 

 次に、神道五部書の中から、成立順に④⑤②でのトヨウケの地位につき、考察する。

・『宝基本記』(④) 雄略天皇二十一年に等由気(トヨウケ)大神を伊勢に迎えたという記事がある。その際、アマテラスは託宣で、まずトヨウケ太神宮を祭るべきなりと、外宮の優先を述べている。

・『倭姫命世記』(⑤)

 天地開闢の時、トヨウケと大日孁貴(アマテラス)が幽契をする。

 崇神天皇三十九年、丹波でトヨウケは天から降ってきてアマテラスに食事を奉る。ここでトヨウケは国つ神ではなく、天上界の霊格という立場に押し上げられた。

 雄略天皇二十一年、倭姫命の夢の中で、アマテラスが食事をしていないと言ったことで、トヨウケが御饌都神として呼び出された。

垂仁天皇廿五年では、アマテラスは宇宙神としての役割を担うが、これによりトヨウケよりも上位にあると考えられていたことがわかる

 

この後、神道三部書の時代になると、トヨウケはアメノミナカヌシと同体に引き上げられることになる。

・『御鎮座伝記』(②)

 トヨウケについての記述の途中から、「古語曰」で始まる箇所があり、葦牙のような形から神が化生し、それがアメノミナカヌシであり、トヨウケと同体であるという。

天地開闢の時、御饌神アメノミナカヌシ(トヨウケ)とアマテラスが幽契したという。

また、イザナギとイザナミが八坂瓊之曲玉を変化させて生み出したのがトヨウケで、水徳であり、「続命の術」で飢餓から救うとある。トヨウケはアマテラスの御饌神を越え、人々を飢餓から救う神となったのである

 

 以上、外宮の祭神であるトヨウケは、記紀神代には全く登場しなかったが、伊勢神道の世界においては、9世紀『止由気宮儀式帳』で初めて登場してから中世の神道五部書を通じて地位をあげ、アマテラスと同レベルに引き上げられただけでなく、アメノミナカヌシという古事記の始原神にまで格上げされた。

 

2 両部神道~密教系神道

伊勢神道の特徴は神仏隔離であり、両部神道とは大きく違う。

両部神道は、密教の両部曼荼羅の発想に基づき、伊勢神宮の内宮と外宮をそれぞれ胎蔵界、金剛界にあてて説明するもので、従来は伊勢神道とは分けられて考えられていた。しかし今日では、両者は密接に関連すると考えられている。

この両部神道でも神話のはじまりに対する中世的な解釈がさかんに行われた。

両部神道のテキストは『麗気記』十四巻で、空海作に仮託されるが実際は鎌倉末頃のものであり、関連図書も多い。なかでも『天地麗気府録』は伊勢神道の渡会家行の『類聚神祇本源』にも引用される。つまり、この後の密教系の両部神道は伊勢神道に大きく影響を与えたということである。

しかしながら、両部神道については、担い手が不明であり、修験者の関与が想定されている。

 

3 密教の影響

『大和葛城宝山記』は、渡会氏に伝わる密教系神道書であり、行基作に仮託されるが、実際は鎌倉期の書物で、密教系神道の早い時期のものである。葛城山縁起の形をとるが、伊勢神宮との関係を重視した内容である。

冒頭部で、天地開闢以前の宇宙開闢について述べる。その内容は、『雑譬喩経』第三十一話前半からの引用である。ここでは「常住慈悲神王」すなわち「葦細」がインド神のヴィシュヌ神であり、これを「天神」と呼ぶこと(「常住慈悲神王」の名前は『雑譬喩経』には記載されない)、さらに『御鎮座伝記』の記述を背景に、天神がアメノミナカヌシであり、トヨウケであると説く。

つまり『宝山記』の段階で、外宮のトヨウケは宇宙開闢の際のインドのヴィシュヌ神へとグローバルな変容をとげた。

他方、アマテラスについては、毘盧遮那如来であると説いている。

 続く、「水大元始」の部分では、記紀と雑譬喩経の内容をすり合わせてゆく。天地開闢の時に水が化生した「霊物」は「葦牙」のようであり、そこから天の神が化生したが、それは「大梵天王」であり、「尸棄大梵天王」である。そして、ひいてはこれがアメノミナカヌシつまりトヨウケであるという結論に達するのである

 

4 渡会神道

 南北朝期になると、外宮の神道は渡会神道として体系化された。渡会家行が著した『類聚神祇本源』では、トヨウケの起源を更に遡らせて、宇宙開闢以前の「機前」において現れる天之狭霧国之狭霧すなわち始元の神の本地がアメノミナカヌシであるという(「天之狭霧国之狭霧」は、『先代旧事本義』中にのみ記される「天譲日天狭霧国譲日国狭霧尊」を典拠とした引用である)。

つまり、トヨウケは、渡会神道においてさらに機前の始元の神にまで上り詰めた。

      

5.伊勢神道と仏教との関係

伊勢神宮は神仏隔離が原則であるが、その理由を仏教側から意味付けた話が『沙石集』に収められている。『沙石集』は鎌倉時代後期、無住の編集であるが、巻一は神祇信仰についてで、神仏隔離の理由が次のように説明されている。昔この国がなかった頃、大海の底に大日の印文(真言)があったので、アマテラスが鉾を下して探りだしたところ、その鉾の滴が露のようであった時、第六天魔王が遠くから見て、滴が国となって仏法が流布し人々が生死を解脱することのないように下ってきた。アマテラスは天魔王と会って、三宝の名も言わない、身にも近づけないので早く天に帰る様に天魔王に言った。そのため約束を守るために神仏隔離が保たれているというのである。

第六天魔王は欲界最高位の第六天の他化自在天であり、中世に仏法を妨げる悪者として登場するが、アマテラスとの契約によって力を封じられた。これが、伊勢神宮における、神仏隔離の理由である。

 

6.まとめ

伊勢神宮では、皇祖神アマテラスを祭る内宮と、御饌神トヨウケを祭る外宮の格差の克服のために、外宮渡会氏により伊勢神道が体系化された。そこでは、トヨウケの格上げのために、記紀神話とは異なる荒唐無稽ともいえる神話の変奏がみられ、トヨウケは天地開闢時に古事記冒頭部に名前のみ存在するアメノミナカヌシになり、宇宙開闢に遡るとインドのヴィシュヌ神になり、ついに機前まで遡り始元神天之狭霧国之狭霧と同体になるまで格上げされていった。

 仏教との関係では、第六天魔王とアマテラスの契約のため、伊勢神宮は神仏隔離を原則とするが、実際には両部神道や密教などとの密接な関係の上に、信仰が盛んになったのである。



 

参考文献

『古事記』

『日本書紀』

『止由気儀式帳』(『神道体系神宮編一』)

『伊勢二宮皇御大神御鎮座伝記』(『新補増補国史大系第七巻』)

『造伊勢二所太神宮宝基本記』(同上)

『倭姫命世紀』(同上)

『大和葛城宝山記』(『続群書類従第六十五』)

『雑譬喩経』(『比丘道略集』)

『天地麗気記巻第四』(『日本思想系 中世神道論』)

『類聚神祇本源』(『続々群書類従巻一』)

『沙石集』(『新編日本古典文学全集52』)

 

齋藤英喜『読み替えられた日本神話』(講談社現代新書、2006年)

山本ひろ子『中世神話』(岩波新書、1998年)

末木文美士『中世の神と仏』(『日本史リブレット32』、山川出版社、2003年)






お食事担当の神様、トヨウケには頑張ってほしいですね〜