こちらからの続き記事です(先にどうぞ)



2月某日の蟹満寺


   
蟹満寺はカニ と金堂仏で有名ですが


まずはカニの話

蟹満寺の由来について、お寺で購入した本から絵 をお借りして見てみます
(文は私が短く書き直しました ・・・が、『日本霊異記』『今昔物語集』等々に載せられるこのお話、かなり荒唐無稽ですからね)

  蟹満寺縁起
 1枚目


昔このあたりに住む信心深い一家の一人娘さんが外出すると、村人がカニ を捕まえていじめていました
娘さんは自分の食べ物とカニを交換し、カニを逃がしてあげました

↓上の絵のカニの拡大図(ズワイガニ疑惑)



2枚目


別の日、娘の父が田んぼで仕事をしていると、蛇がガマを呑み込もうとしていました
お父さんは蛇に、ガマを助けるなら自分の娘を嫁にやると言いました(ひどい)
蛇はガマを逃がし、どちらもどこかへ行ってしまいました
家に帰って父はこのことを娘に話しました
娘は父をなぐさめ、観世音菩薩に救いを求めて観音経をとなえました


↓ 蛇の顔
「うっしっし、ガマを助けて娘をもらおう・・」(なんちゅう取引!)

 「助かったぜ、ベイベー」



3枚目

日没に近づくころ、衣冠を付けた紳士が現れ、田んぼでの約束を迫りました
父は困り嫁入りの支度 を理由に後日に約束を遅らせました
その日が来ると父は雨戸を固く閉ざしました
紳士は大蛇に姿を変えて、家の周りをぐるぐる回り怒り狂い、しっぽで雨戸をたたきます
(どちらの気持ちもわかるなあ、裁判にしたら父が負けるかもねえ)


4枚目
家族皆で一心に観音経をとなえていると、観音様が眼前に現れ、日ごろの善行をほめて、危難を除くことを告げました
一家は合掌し「南無観世音菩薩」と何度も願い続けました


5枚目

外で先ほどまで蛇が雨戸を売っていた音が消え、急に静まり返りました
夜明けの白みかかるころ、父がおそるおそる雨戸を少し開けてみると、ばらばらに切られた蛇と、数万の蟹の亡骸がありました


↓カニの拡大
 


6枚目

父は妻と娘を呼び寄せ、観音の守護に感謝し、カニと蛇の為に合掌し「南無観世音菩薩」となんども念誦し、カニと蛇を集め、丁寧に葬りその上にお堂を立てて聖観音菩薩を まつり、 カニと蛇の菩提を弔いました

この寺は蟹満寺と名付けられました

観音様の功徳ですね~~
よかったですね~~


でもって、蟹満寺の本尊は、(縁起とは違い) 釈迦如来(聖観音どこ行った疑惑)    
       
   
    
    
   


はい、面白いお話の次は、釈迦如来のことについてです


国宝 蟹満寺釈迦如来


   

金銅製の坐像で、八尺八寸(丈六仏よりはやや小ぶりなんでしょうかね)
螺髪、白毫をつけません   

お寺のパンフレットによれば、この仏像は今まで来歴がはっきりしなかったそうですが、平成二年に本堂西側の庫裏の建て替えに伴う発掘調査によって、白鳳期の巨大な瓦積基壇建物跡の一部が検出され、白鳳創建期の蟹満寺本尊(七世紀末ごろ)であることがほぼ明らかになったということです
(「蟹満寺縁起」の聖観音どこ行った疑惑再燃)

この釈迦像が白鳳期創建の旧仏であることは、平成十七年の再調査によっても確認されたようです

つまり、台座とそれにのる釈迦如来坐像は創建以来約1300年、その場を動いていない と考えられるそうです(動いてないからといって、かならずしも制作年代に直結 しないという意見もあるようですが、それはどういうことなんでしょうか?)    
    
    
   
このお像の造立過程の詳しいことがわからないのですが、 
体の各所には鋳造時についてしまったであろう傷跡が残っていました

 

 おしりのところには笄の跡?や  ひび割れ   
   

写真がありませんが、左ひざのあたりにも、鋳造時についた傷跡がくっきり残っているのがわかりました
  
この像の鋳造を行った仏工の技術力はどのくらいだったのか?気になりました






お顔も厳しい表情をしていらっしゃいますが、頬の部分はすべすべしたお肌、とはいかないようです


   

話が変わりますが
奈良薬師寺金堂の薬師三尊像について、移坐説(藤原京に作られた薬師寺の本尊を平城京に持ってきたとする説)をとる立場の根拠のひとつとして、七世紀末ごろに制作年代がほぼ確定した蟹満寺釈迦如来と作風が近いことを あげるようです

でも、見てください↓   
   
薬師寺薬師如来像のお顔のつるつるピカピカの美肌
このお像が、移坐説の主張するように藤原京からおいでになったのか、それとも平城京で新鋳されたのか(とすると奈良時代8世紀の作になるけど)、    どちらが正しいのか知りませんけど、私としては、昔、白鳳と習ったので白鳳時代と考えたい
けど、この薬師如来のつるぴか美肌を見るとやっぱり蟹満寺より あと、奈良時代の作品なのかしら~?
制作環境の違いがあるにしても(なにしろ薬師寺薬師如来は、ボンボンだから)、ちょっとぶつぶつの残る蟹満寺釈迦如来のほうが薬師寺よりは前なんだろうと思います


あ、そうでした、山田寺仏頭くんのことも触れなくちゃいけません

山田寺仏頭くんは、天武14年(685))作なので、薬師寺、蟹満寺よりも古いのね(^.^)


「あ、僕、制作年代も、その他もいろいろハッキリしてますから!」


つまり、山田寺仏頭→蟹満寺釈迦如来像→薬師寺金堂薬師三尊像
という制作年代の順番になる、ということでしょうね
    

    
  このあたりの時代の他の仏像も含めた制作順序は↓こんな感じのようです

↑この年表だと、蟹満寺釈迦が8世紀初めの制作になってるけど・・・薬師寺の方も新鋳説みたいだから、順番的にはモンダイないわけだわね・・・・
(年表は、朝日出版『国宝の美』彫刻3、白鳳・天平の金銅仏からとりました)

  
1番
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2番
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3番
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美肌度がアップしてますな(そればっかり・・)



旧山田寺仏頭くんの悲劇については、過去記事のこちらへどーぞ(長いよ)